HOME > 今週のコトバ集

2014-01-07

新年のあいさつ

 新年あけましておめでとうございます。
 昨年は、公私ともに、いろいろあり過ぎて、いまだに気持ちの整理がつきかねる状況です。中でも昨年11月には、晴天の霹靂的状況が我が身に襲い、人生、一瞬先に何が起きるか分からないものだと、つくづく実感した次第です。
 何はともあれ、こうして新しい年を迎えることができたのは、ありがたいことです。今後とも少しでも興味深い記事を提供するとともに、多くの人のお役に立ちたいと思うばかりです。今年もよろしくお願い致します。

石像.jpeg

2013-12-13

天然シネマスコープ

 12月8日(日)に、NPO法人J-ヘリテージが主催する「兵庫にも運河があるんやで!加藤海運・神戸ドックにも行くよツアー」に参加した。興味深いところばかりで紹介するのも大変だが、今回は最初に訪れた加藤海運を取り上げよう。
 この旧加藤海運本社ビル(兵庫区島上町1)は、四国の高松市から神戸に本社を移し、昭和3年に建設されたもの。岸壁の直ぐそばに建っている。円形の外観が何ともレトロで優美。これはフランネル(船の煙突)をイメージしたものだ。1階の丸い部分が荷物の受付窓口で、女性たちが荷受伝表などを処理していた。屋上にある四角いものは、夜間、船が着く方向を知るための照明灯である。
 社屋の2階に上がって室内を見渡すと、設備関係だけ手を入れれば、今でも十分使えそうだ。一角に大きな金庫があった。存在感を主張するかのように黒光りしている。昭和30年代の全盛期の頃は、儲かり過ぎて、札束がこの金庫に収まり切れなかったというから、半端じゃない。
 そしてひときわ眼を引くのが窓ガラスから見渡す外の風景である。建物が円形なのでまるで横幅ワイドなシネマスコープの画面のように見える。昔、大阪梅田のOSシネマで、『アラビアのロレンス』を、画面の迫力に圧倒されながら観たことを思いだした。もしこの建物で仕事をしていたら、毎日居ながらにして、天然のシネマスコープが楽しめるというわけだ。きっと、ここをオフィスにしたい人が出てくるに違いない。


外観.JPG旧加藤運輸本社ビル金庫.jpg金庫


窓.JPG天然シネマスコープ

2013-10-21

海文堂店長、最後のメッセージ

 ご存知のように、神戸における活字文化の拠点「海文堂書店」が9月30日に閉店した。活字離れ、ネット書店の台頭などの逆境の中で果敢に闘い続けた海文堂も、創業99年4ヵ月でついに幕を閉じることになった。
 閉店当日は、写真を見ても分かるように大勢のファンが詰めかけ、閉店間際まで本を購入し、最後の別れを惜しんだ。「これだけの人が毎日、海文堂にくれば閉店しなくても良かったのに」と、海文堂スタッフは思ったに違いない。
 最後の客が出てから、スタッフ達が店頭に並ぶ中、福岡宏泰店長が挨拶をした。その最後のメッセージが頭から離れない。そして少しでも多くの人たちに知ってほしいと思った。

「いま街から本屋がどんどん全国的になくなっています。最後に皆さんにお願いをしたいのは、確かにネットは便利なんですけども、街にまだ残って頑張っているリアル書店を使ってあげてください。でないと、この国から本屋がなくなってしまうかも知れません」

 そういうことなのだ。

黒山の人だかり.JPG福岡店長.JPG

2013-08-19

「松元ヒロ」を知っていますか?

松元ヒロ.JPG「絶対におもしろいから。見て損はさせませんから、来ませんか。松元ヒロさんのトークショーに」と、yurariの執筆者の一人、坪谷令子さんから声をかけていただいた。場所は、明石市立勤労福祉会館である。

 松元ヒロ。申し訳ないけど、初めて聞く名前だった。チラシの経歴を見ると、私と同年代であり、立川談志、永六輔、小沢昭一などと親しい人ということで興味をもって、8月4日、明石へ。
 本番が始まり、出てきた松元ヒロさんの第一印象は、体格のいい体育会系の人。聞けば、中学から大学まで、陸上競技に打ち込み、かなりの成績を残している。
 肝心のトークショーの中身だが、期待以上の面白さだった。反体制派の反骨精神溢れる気骨の人であり、核心を突いた鋭い批判精神を温かい笑いに変えて会場を沸かせる一流のパフォーマーであった。時の総理大臣の物真似をしながら、容赦なく体制批判をするものだから、テレビ局のスタッフが楽屋に飛び込んで言うらしい。「ヒロさん、とってもおももろかった。でもテレビには絶対に出せない」って。私が今までヒロさんを知らなかった理由の一つはこれだった。
 「私を可愛がってくれた立川談志師匠が、寄席で私を紹介するときにいうんですよ。こいつは平和を食い物にしている芸人ですって。でもいいじゃないですか、戦争を食い物にしている人よりもましだと思うんですけどね」。
 一番、心に残った言葉だった。さらに体験談に出てくる有名人に、ジャズ評論家のイソノテルヲ、パントマイムのヨネヤマママコ、舞踏家の大野一雄、土方巽、麿赤児、田中泯など、懐かしい名前が出てくるのも嬉しかった。今回のトークショー。この半年間で見たライブの中で、3本の指に入る面白さであり、「松元ヒロ」の名前は、私の胸にしっかり刻印された。

2013-07-17

客員教授とドッキリカメラ

 どこでどう間違ってしまったのか。神戸学院大学の人文学部のキャリア特別プログラムにおいて、「メディア業界の歩き方」の講義を、6月と7月に行い、その上、客員教授の肩書きまでいただいてしまった。
 講義の依頼を受けた時に決意したことがある。せっかくの機会だから、絶対に学生たちの役に立つ内容にしたいということだ。
 それにはまず、メディア業界の厳しい現状をリアルに伝え、それでもメディア業界で働きたいという人には業界で生き抜く方法を教えたい。もう一つは、少子化、経済低迷、コミュニケーション能力不足等の要因により内向きに萎縮している若者たちに、現実を見る眼を養うことと同時に、夢を持つこと、行動することの大切さを伝えたいということだ。
 今までの体験に最新データを加えてPowrpointで約60枚のシートを作成し講義に臨んだ。講義後の学生アンケートの結果では、現状がよく理解できた。勇気がわいたと、幸い好評だったようで、ほっと安堵しているところだ。

 ところで最初、この話を依頼された当時、飲み会で出会った高校の同級生で、関西大学の文学部教授をしているM君に話をすると、「それは嘘やろ。うちは教授会に諮って選ぶことになっている。慎重な手続きの上で山田洋次監督などを客員教授として招いたのである」とまるで信用しない。
 実のところ私自身、半信半疑だった。そこで私に声をかけていただいた神戸学院大学のK教授に、「友達の教授が信用してくれないので、名刺を作っていただけますか? 費用はこちらが負担しますので」と打診をしてみると、いいですよと快諾していただいた。だからいま手元に名刺もある。大変名誉なことである。
 この名刺を持っていたら、女性にモテる、飲み屋のつけが効く、ローン契約が有利になる、といった何かの特典があるだろうか? いや逆に、飲み屋のオネーチャンにおだてられて飲み潰れて後悔するかも知れない。
 しかも客員教授の期限は、4月1日から9月30日までの半年間。期限終了後にそのまま名刺を誰かに渡すと、詐称になるのではないか? 客員教授の肩書きの前に「元」の文字が必要なのだろうか?
 このように私の疑問と悩みは、真夏の入道雲のように大きくなるばかりである。そしてやがてある日、ヘルメットを被り、プラカードをもった男が現れるに違いない。「どうも、どうも。ドッキリカメラです。みんな嘘、嘘ですよ」。

講義資料TOP.jpeg

2013-06-03

生ケチャ、初体験!

 パリに行ったことはあるが、バリは初体験だ。最大の目的は、インドネシアのバリ島で行われる舞踏劇「ケチャ」をみることだ。ケチャを知ったのは、フェリーニの映画「サテリコン」で、主人公が迷路をさ迷うとき、ミノタウロスが襲ってくる。そのときの音響効果として、「チャ、チャ、チャ」の不思議なかけ声が、それも多数の男性の声が重なって悪夢のように繰り返されるのだった。後に、それがバリ伝統のケチャダンスで使われるものだとわかる。テレビで見たりもしたが、やはりライブの魅力には勝てないはずだと思い、ケチャを体験すべく、バリへと旅立った。

 さて、念願の生ケチャを、ウブドで体験できた。すっかり日が暮れた午後7時半。小雨が降っていたため、小屋の下で行われたが、簡単な舞台装置でも、十分雰囲気は伝わってくる。ヤシ油を燃やしただけの燭台を中心に、レサ・アダサンマハン村の男性たち60人ほどが輪になって、ケチャを始めた。いやあ、迫力満点だ。チャ、チャのかけ声も、4つのパートごとに掛け方が違い、それが同時に発せられると、複雑なリズムが味わいを増し、神憑ったエネルギーが渦となって発散されるのだった。
 本来は、宗教的な儀式から生まれたケチャであったが、1920年代に観光用に、インドの叙事詩「ラーマヤーナ」を取り入れたため、様々な人物が登場し、スートーリーらしきものが展開される。約1時間、男性達はずっと声を出し続ける(年配の男性にとっては、健康にもよく、小遣い稼ぎにもなるから、いい仕事なんだそうだ。だが、これは後で聞いた話)。観光用とはいえ、レベルは高く、日本とはまったく異質な男声合唱の魅力を堪能することができた。

▶他にも「バリ島報告」に3本の記事を掲載 コチラをクリック


ケチャ.JPG

2013-05-23

廃線トンネルを歩く

 旧福知山線の廃線トンネルを歩いてきた。距離は、JR西宮名塩駅からJR武田尾駅までの約10km。川の流れと新緑を楽しみながらの武庫川渓谷沿いのハイキングはすこぶる気分がいい。その間、足下には、つねに枕木があった。土に埋もれてほとんど同じ高さになっているところもあれば、まだ存在を誇示するかのように、土や砂利より一段高いままのところもある。いずれにしてもその上を、かつては列車が毎日走っていたわけだ。その場所を歩くのは、何とも不思議な気分にとらわれる。
 途中にトンネルが6カ所。さら老優のような佇まいの赤い鉄橋もある。トンネル内は暗くて、懐中電灯がないと足下が見えない。トンネルを抜ける先に見える明るい新緑の風景がやけに輝いて見える。ハイキングコースとしては、少々短いけれど、変化に富んだ景観を楽しむことができる。ここの人気が高いのは、当然だわ。


DSC00090.JPGDSC00118.JPG

2013-04-10

器用過ぎるだろ、日本人!

 別に怒っているわけではない。ほとほと感心しているのである。発端は、昨年、メリケン波止場で行われていた「インディアンメーラー」を見物したときだった。西日本最大級のインドの祭りらしく、広い会場に詰めかけた人たちの多さに驚きながら、メインステージへ移動した。そこではインドの楽器や古典舞踏などの演目が続いていたが、インド人ばかりでなく、日本人が演奏したり踊ったりしている。それもレベルがすこぶる高い。しかしインドの古典舞踏を日本人が集団で踊る時代が来るとは。私は嘆息した。
 そして今年、アフリカのダンスと演奏を見物するために大阪ミナミのイングリッシュ・パブへ出かけた。そこでもアフリカの人たちに混じって、日本人が演奏したり、踊ったりしている。素人目に見ても、やはりレベルが高い。もし目をつぶっていれば、本場の人が演奏していると思うだろう。しかし、日本人がアフリカの楽器や踊りをこれほど巧みにこなす時代がくるとは。
 もともと好奇心旺盛で、器用な民族である日本人は、踊りに限っても、これまでタンゴ、フラメンコ、フラダンスなどに熱中したことあったが、いまはさらに幅広くその才能を発揮しているようだ。その背景には、交通手段の発達で気軽に現地に赴き、習うことができること。さらにYouTubeなどによって情報を用意に入手できるようになったことが考えられる。
 世界中の民族楽器と民族舞踏を日本人が軽々とこなす時代が、近々来そうだ。いや、すでに来ているのかもしれない。


インド.JPGみんな日本人ですアフリカ.JPGジャンベを叩くのも日本人だ

2013-04-02

空飛ぶ社長室

 2月10日、知り合いの女性映像作家が作品上映会を行ったとき、会場であり2012年11月6日に完成した中之島フェスティバルタワーへ初めて行った。赤い絨毯が敷かれた巨大なメイン階段は、すでにマスコミで紹介されていたので、さほど驚くことはなかったが、一番驚いたのは、外側がガラス張りで見晴らしのいいエレベーターの広さだった。3畳くらいはあったように思う。病院のベッド搬送用や、企業の荷物運搬用などのエレベーターでは時々見るが、一般客相手で、これほどの広さをもつエレベーターを見たことがなかった。これだけあれば机やタンスなどを置いて生活できるのではないか…。
 てなことを考えていたら、急に思い出したのが、「奇想遺産Ⅱ」(新潮社)で紹介されていた「空飛ぶ社長室」である。チェコにある世界的な靴メーカー、バチャ社のビルの中にある社長室は、何とエレベーターの中にあるのだ。その広さ20畳ほどもあり、用事があれば、社長がエレベーターのボタンを押して階を移動するという案配だ。エレベーターのドアが開いたら、いきなり社長室だから、社員は嫌だったかもしれない。何れにしても特筆すべきは発想の奇抜さであり、しかも建てられたのは1939年である。戦前にしてこの大胆さにはやはり驚嘆せざるを得ない。だったら、「空飛ぶBar」や「空飛ぶマッサージルーム」などがあってもいいではいか。妄想はどんどん膨らんでいくのであった。

フェスティバルタワー.JPG中之島フェスティバルタワーのエレベーター。かなり広い!社長室.jpegチェコにある空飛ぶ社長室。向こう側がエレベーター内だからね。 (写真:「奇想遺産Ⅱ」(新潮社)より)

2013-02-19

へびたろうのご利益

 オフィス内の変化として、カレンダーの他に、もう二つある。一つは、溢れる本や書類を整理するため、本立てを入れたこと、もう一つは、その本立てに「へびたろう」が備え付けられたことだ。私が仕事をしている斜め後ろから、下の写真のような姿で、赤い舌を出し、赤い目を輝かせて私を睨んでいる。
 このへびたろうは、神戸の諏訪山の麓にある「アートスペースかおる」に遊びに行ったときに購入したものだ。作者は、ちょうちん&ひるあんどん一座であり、作品にへびたろう由来まで添えられていた。細かい内容は省くが、劇的なご利益はないが、「赤字が3%ほど減少した」「宝籤で五千円当たった」「癌が早期発見された」「彼氏ができたんですう」「介護福祉士の試験に合格した」といった、ささやかなご利益はあるそうだ。
 そういえば、私にも今年、ちょっと嬉しいことがあった。これは、やはりへびたろうのご利益なのだろうか。たのんまっせ、これからも。

へびたろう.JPG

2013-02-18

今年のカレンダーは、もふもふ堂さん

 2年前の9月に新しいオフィスに移ってから、毎年、カレンダーの種類が変わっている。
 最初の年は、途中からだったので、カレンダーも何もなく、オフィスを訪れたMさんから、「壁に何もないと寂しいね」と、何とマリリンモンローのカレンダーをプレゼントされた。地下鉄の風でスカートがまくれ上がるというあの有名な写真を横を貼って仕事をしていたわけだ。
 昨年は、取引先の会社からいただいたゴルフ場のカレンダーを貼った。10年ほど前にゴルフはやめたが、青い空の下に広々としたゴルフ場の景色を見ているだけでも開放感があった。
 そして今年は、ゴルフ場のカレンダーは自宅の壁に貼ることにして、もふもふ堂さんのカレンダーを貼ることにした。テーマは、「昭和40年代KOBE市電の走る風景」。レトロな雰囲気に惹かれて購入した。カレンダーを購入したのは、たぶん初めてのことだ。せっかくそこまでして入手したカレンダーなのに、オフィスの壁面に貼ったのは、何と2月18日。忙しかったからというのが、その理由なのだが、我ながら情けない。今日を境に、毎日、カレンダーに手を合わせてから仕事を始めよう。

もふもふ堂.jpeg1、2月 2.jpeg

2012-12-03

夏楽園の失墜

 11月23日、勤労感謝の日、高校のOB会の人たちと京都の疎水沿いをハイキングした。ついでに足を伸ばして東山の将軍塚へ行こうと坂道を上っていると、何やら巨大な白い蛇のごとき建造物が左手に現れた。よく見れば、ウォータースライダーである。いまは使われていない様子だ。いわゆる廃墟になるわけだが、比較的まだ新しいようにも思える。
 しかし、なぜこんな人気もまったくない山の中腹に、夏のリゾート施設がつくられたのか。それが不思議でならない。ぼんやり見ていると、夏の炎天下で、ウォータースライダーに興じる若者達の歓声や子ども達の嬌声が聞こえてきそうだ。看板には、「アクアパーク東山」と書かれている。
 帰宅後、インターネットで調べてみたが、写真はたくさん紹介されているが、歴史的な記述はどこにも見当たらない。犯罪者が、なぜ犯罪を犯さねばならなかったのかといった心理学的、社会学興味を持つのと同様に、この施設はどんな理由で見捨てられることになったのか、その歴史とともに知りたいところだ。

アクアパーク東山.JPG

2012-10-29

陸橋マニアなら失神するだろう

 10月某日、摩耶埠頭に行くために、阪神西灘駅を降りて、そのまま南下した。するとすぐに国道2号線にあたり、陸橋が現れた。見れば、陸橋を利用しない限り、南へは行けない。仕方なく登ってみて驚いた。登ってすぐに下りれば陸地ではなく、陸地につく前にさらに登りの陸橋が続いている。その先は見えない。いったいこの陸橋はどこまで続くのか。しかも同じ陸橋が左右に分かれて続いている。てくてくと歩くと、阪神高速3号神戸線の下を通り過ぎ、やっと先が見えた。なんと国道43号線まで続いていたのだ。地図で見ると、2つの国道の間隔が狭い所だとはいいながらも、距離にして約200mある。陸橋の下は、摩耶埠頭からの荷物を積んだ大型トラックがひっきりなしに走るエリアでもあった。
 確かにここだけは陸橋でもつけない限り、人も車もお互いにスムーズに動けないだろう。それは理解できる。本来、陸橋は人より車優先の象徴的存在であり、私が最も嫌っていたものの一つだが、いっそここまで長くなると痛快である。そのスケールに呆気にとられってしまった。世の中には様々なマニアがいるものであり、最近知り合った人の中にも、廃墟マニア、ダムマニア、配管マニア、ジャンクションマニアなどがいた。だったら陸橋マニアがいても不思議じゃない。そして彼らがここの風景を見たら、きっと狂喜乱舞するか、失神するに違いない。

陸橋南向き.JPG陸橋北向き.JPG

2012-10-19

Facebookから掲載拒否!?

 「今週のコトバ」としながらも掲載が遅れている。このペースだと「今月のコトバ」に変更しなければならない。という反省の弁を述べておいて、さて、今日、数分前の出来事である。
 モトコーを歩いていてドキッとする作品が展示してあったので、中に入って作者の宮田晴菜さんから制作意図を聞いた。「洗濯ものを見るのが好きで。家族構成や生活シーンが浮かんだりして楽しいんです。でもカラーじゃなくて、半透明な素材なので、蝉の抜け殻みたいで、生々しい感じもしなくて、空気感みたいなものを感じてもらえるかなと思って」。
 これはおもしろいと思って、さっそくFacebookに、下の写真と「盗撮マニアでもなく、何とかドロでもありません。れっきとした作品ですから。モトコーで見つけたグループ展。」なるコメントつけて、投稿ボタンを押したのだが、画面に現れない。
 これはFacebookによる掲載拒否にあったかと思ったら、数分後、やおら画面に現れた。「公序良俗に反するものは掲載拒否」なんて基準があるのかどうか知らないが、そういったものに引っかからなかったようだ。やれやれ。

洗濯もの.JPG

2012-09-11

空と若さが、眩しい!

 8月末の夜、メリケン亭でビールを飲んでいると、対岸の第一突堤に停泊中の大型練習帆船「海王丸」の姿が目に入った。飲んでいたおっちゃんが「きれいやな」と何度もため息をつく。「マストの高さがどのくらいやろ?」とメリケン亭の亭主に訊ねると、「55 mです。明日はあのマストの上に登って、登しょう礼をおこないます。見物ですよ」と答える。そこで急に「登しょう礼」とやらを見たくなって、翌朝、私は第一突堤へ出かけた。
 船に近づくに連れて優雅な帆船の姿が大きくなる。そして海王丸は、予定通り午前11時に出港した。離岸時には、実習生たち全員が、港や歓送者に対して、感謝の意を表するため、網に足をかけながらマストに登っていく。高所恐怖症の人間には絶対に無理だ。彼らの姿がどんどん小さくなっていく。見上げるこちらの首が痛くなるほどだ。笛の合図で、訓練生たちは水平に広がるヤードに移動する。そして再び合図とともに彼らは脱帽した上、「ごきげんよう」を三声するのだ。これが「登しょう礼」というものらしい。夏の空と彼らの若さが、たまらなく眩しい!
 厳しい訓練に耐えながら海のプロを目指す彼ら(女性もいる)の勇気と心意気に打たれた私は、見ていて思わず目頭が熱くなり、涙がドドッと滝状態になってしまった。いかん、歳のせいで、涙もろくなってしまった。それにしても、いいものを見せてもらった。これも神戸の風物詩であり、神戸に住む者の特権といえるかもしれない。

登しょう礼1.JPG登しょう礼2.JPG
登しょう礼3.JPG登しょう礼4.JPG

2012-08-26

進化する「海の家」

 3年ほど前、ダラーガ通信の中で、「マイクールジャパン ベスト3」(http://hatoba.p1.bindsite.jp/cn56/pg735.html)なるものを発表ししたが、そこで堂々の3位に輝いたのが「海の家」なのだ。季節限定の浜茶屋は、日本の夏の風物詩ということで、取り上げた。そこで紹介した写真は、但馬にある竹浜海水浴場でのもの。伝統的なゴザを敷いた床があり、食べ物と言えば、カレー、ラーメン、うどん、かき氷ぐらいしかない。でも、それでいいではないか、海の近くで着替えも休憩もできて便利だし、昭和テイストたっぷり味わえるから、と思っていた。

 今年の夏、ウン十年ぶりに須磨海水浴場に行った。子供が小学生の頃以来である。海の家がとんでもなく変貌していると聞いていたからだ。テレビで何度か見たことがあるから予測はつくが、やはり自分の目で確かめなくては。

 いやはや、これはすごい。従来の座敷スタイルは2件ほどあったが、それも、ウッドデッキの上にテーブルと椅子がおかれた洋式スタイルとの併用である。中には完全なBarスタイルの店もある。またフードの種類の豊富さには目を見張るばかりだ。アジアのファーストフード系なら何でもある。フードコートを設置した巨大な海の家もある。

 過去を振り返ってみれば、座敷にあがり、砂のついたゴザの上に座ったり、寝転んだりするのは、決して気持ちのよいものではなかった。椅子スタイルの方が楽である。ただビールを飲んで寝るときは、座敷スタイルが一番だが。

 結局、私は浜辺のBarで知り合った20歳代の若者たちと話しながら、ビールを飲んだり、ビザを食べて、夏の一時を大いに楽しんだが、耳をつんざくようなBGMの音量の大きさには閉口した。これだけは改善してもらいたい。
 今後も「海の家」はさらに進化を続け、今に想像もできないようなものが出現しそうな予感がしてならない。

海の家1.JPGウッドデッキスタイルが主役!海の家2.JPGフートコートスタイル巨大な海の家
海の家4.JPG奥は座敷だが、手前は椅子海の家3.JPG浜辺を見ながら、Barでビールを飲む

2012-08-09

レトロ映画館

 7月某日、4泊5日の弾丸ツアーで台湾を1周してきた。その中で一番の収穫が、このレトロ映画館との出会いである。
 映画「非情城市」で一躍、観光名所になった「九ふん」。今回のツアーでも組み込んであり、楽しみにしていた場所の一つだ。観光客が多いうえ、道路や階段の幅が狭いために歩きにくい。まるでお祭り騒ぎである。「今日は金曜日の平日だからこれくらいですが。土日は歩けないほどになります」とガイド氏。
 きょろきょろと左右に目を向けながら歩いていると、古めかしい劇場らしき建物があった。外観を撮影して通り過ごし、帰りに気になるので、近づいてみると、どうやら入場無料らしい。中にはいって驚いた。椅子とスクリーンがあり、本日上映の看板には、ホウ・シャオシェンの「恋々風塵」のポスターなどが貼られている。そして泣かせるのが、あまりにレトロな売店の風情。昭和初期あたりに一気にタイムスリップしてしまいそうだ。

 この建物は「昇平座」という。1934年に劇場として設立され、以後、劇場や映画館として人気を博していたが、テレビの普及に伴って1986年に閉館した。ところが、2009年に新北市政府に寄贈したところ、歴史的建築物の保護に力を入れ始めた政府は、2010年6月にこれを記念的建築物に認定し、1962年当時の姿に復元したのである。現在は、映画や芝居など多目的上演空間として活用されている。
 この建物をみて感激するのは、私ばかりでない。台湾の年配の人々は、自らの若かりし頃を思い浮かべ、きっと深い感慨に浸るに違いない。今回のツアーで予想もしなかった素晴らしい出会いとなった。日本の映画館も、こうした復活を果たしてほしいものだ。


昇平座外観.JPG昇平座の外観内部.JPG今も定期的に映画を上映している
レトロな売店.JPG懐かしい売店に、台湾で出会うとは

2012-07-23

メトロ卓球場

 ここは世にも不思議なメトロ卓球場。地下鉄高速神戸駅近くの地下通路を歩いていると、鉄柵に囲まれた空間が立ち現れる。まるで動物園の檻だ。中をのぞけば、そこには卓球台が7、8台並んでいる。以前、前を通りかかったときは、派手な衣装を身につけたおばちゃんたちが、気迫に満ちたポーズで野獣の雄叫びをあげながら小さなピンポン玉をしばき合っていた。やはりここは鉄製の檻が必要だなと合点して通り過ぎたものである。だがこの日は人も野獣の姿も見えず、ガランともぬけの空状態だった。すると以前は気づかなかったものが目に飛び込んできた。壁面に描かれているイラストである。○×式で、やってはいけない行為を猿でもわかるようにわかりやすく教えようという魂胆のようだ。ふむ、ふむ、なるほどと頷きながら左から見ていく。ところが、うん、これは? というのが、右のイラストである。私は好きだな、これ。脱力系スマッシュに1ポイント進呈!

イラスト1.JPGイラスト2.JPG
イラスト3.JPG

2012-07-11

アフリカン・ビートに驚愕!

ジャナグル・ジュニア.JPGジャナグル・ジュニア前回、高橋朋子さんの活動とジンバブエについて書いたが、その高橋さんがつくった音楽学校の生徒たち「ジャナグル・ジュニア」が来日して、演奏活動を行っている。7月9日(月)、神戸市灘区の水道筋のうどん屋さん「な也」で演奏するという。着けば、うどん屋さんは満席。立ち見状態である。
 メンバーが出てくる。若い。メインボーカルでありリーダーのティチャファラ・マンゴボレロ君は、9歳だと自己紹介していた。小学4年生だ。女の子も小学5、6年生くらいだった。やはり若い。
 そして演奏が始まる。会場にいるみんなが驚愕し、「おー」という声を上げる。マンゴボレロ君の声は会場中の空気をふるわすほど伸びやかで豊穣であった。アフリカの大地の遠くの村まで届くほどの勢いだ。女の子たち3人がR&Bのドゥーワップのように腕を振り、体を揺らせながら歌に合わせて踊る。その可愛さに、ため息が出る。親指ピアノとも呼ばれる2台のムビラ(ジンバブエの民族楽器。他ではカリンバとも)が奏でる透明な音色が、抜けるように青い天空に広がっていく。
 やがて彼らはリズムに合わせて激しく敏捷に踊り出す。その高速回転、超絶技巧を駆使した見事な足さばきには、ただただ唸るほかない。アフリカの大地を踏みしめ駈け回る人々の脚力と天性のリズム感は、農耕民族の我々とは明らかに次元が違う。
CD.jpeg最新アルバム すべての演奏が終わった後、会場は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。素晴らしい演奏会だった。私は彼らの最新CDを購入して帰った。いまも彼らの音楽を聞きながらこのコピーを書いている。アフリカン・ビートは凄い!

2012-06-18

なぜか、ジンバブエ

高橋朋子さん.JPG高橋朋子さん 6月某日、毎日新聞朝刊の一つの記事に眼が止まった。そこには、次のような見出しが踊っていた。
 「ダイヤ収入消えた」
 「ジンバブエ 国家入らず 目標額の4分の1」
 「大統領与党流用の疑い」
 そして同国の野党は、ムガベ大統領率いるジンバブエ政府と、合弁でダイヤ採鉱を行う中国系企業を批判していた。
 さらに最後の方には、次のような文面が載っていた。
 ジンバブエでは、東部マランゲ鉱山で2006年、世界有数の鉱脈が発見された。国際人権団体は、その鉱山を国家管理下におくため国軍が違法鉱山労働者ら約200人を殺害、子供の強制労働も行った。

 ダイヤモンドを巡る、あまりに血なまぐさい事件である。とっさに紛争ダイヤモンドを扱った映画「ブラッド・ダイヤモンド」(レオナルド・ディカプリオ主演)を思い起こした。シエラレオネ共和国での内戦で起きたダイヤモンドを巡る権力者たちの争い、それに巻き込まれる住民たちの過酷な現実を描いたものだ。

 ところで、なぜ新聞記事の中で「ジンバブエ」の文字に眼が止まったかといえば、モトコーにある「プラネットEartH」で開催されていた「アフリカンアート展」をのぞき、主催者の高橋朋子さんに出会ったのがきっかけだった。
 彼女は、何とジンバブエで28年も暮らし、現地の子供たちのために音楽学校を作ったり、貧しく苦しい音楽家たちをサポート。時々日本に帰って展覧会を開催し、資金づくりを行っている。
DSCN4795.JPG空き缶で作られたイボイノシシ 会場内は様々な手づくり作品で埋められていたが、中でも興味を惹いたのが、空き缶アートだった。実によくできている。結局、私は空き缶アート作品と高橋さん制作の絵はがきを購入した。
 その他にも、ジンバブエと子供たちについて様々な話をした。「どんな悲惨な状況であっても、大使館員も新聞記者も地元民の実情に無関心。世界に伝える努力をしてくれない」と彼女はいう。

 なるほど、ジンバブエか。実のところ「国名は聞いたことあるな」程度の理解しかなかった。調べてみると、とんでもない国である。南アフリカの北隣に位置して、かつてはローデシア共和国という国名だった。ローデシアなら知っているぞ。かつての南アフリカと同じように、少数の白人だけが実権を握る悪名高いアパルトヘイトを行っていた国だ。そのローデシアも、1980年に総選挙の結果、黒人が実権を握り、ジンバブエ共和国が成立した。普通なら、そこで目出たし目出たしとなるところが、そうはいかないのが人間の浅はかさ、欲望の深さ。初代首相になったムガベ(1987年には首相職を廃止し、大統領に就任)のとんでない政策のせいで経済は破綻。世界最悪のインフレ率を更新。失業率は国連の発表で94%という有様。さらに秘密警察による監視や反体制派への暴力や言論統制を敷くなど、「世界最悪の独裁国家」と評されている。

 こんな劣悪な環境の中でもたくましく生き抜き、それも恵まれない子供たちのために献身的に活動している女性がいることに、正直かなり驚いた。以後、私の胸に「ジンバブエ」という単語が刻印されている。冒頭に紹介した新聞記事に眼に止まったのは、こうした理由からだ。

2012-06-08

「カホン」発見

 イラストレーターのKさんの招待で大阪ナンバまで出かけ、アートと音楽の融合ライブを体験した。5組のミュージシャンが演奏し、それに合わせてKさんが壁面にインスピレーションの湧くまま大きな白いキャンパスにマジックペンを走らせる。最初に登場したミュージシャンは「atelier」というグループで、オーガニックロックバンドと銘打っているだけあって、自然や宇宙的なイメージが広がるサウンドを聴かせてくれる。楽器編成をみると、ギターとシンセサイザーは分かるが、後一つが分からない。四角い箱に座って箱を叩いている。初めて聞く音は、それなりに良かったのだが、「これって楽器なの?」という疑問が残る。演奏終了後に訊ねると、「れっきとした楽器ですよ。カホンっていいます。最近、よく使われていますよ」とという返事。カホンを発見した瞬間であった。
 調べると、もともとはペルーの楽器である。ペルーに連れてこられた黒人奴隷たちは楽器で会話ができるから、政府は反乱や脱走をおこさせないために太鼓の使用を禁止した。そこで彼らは貨物運搬用の箱やタンスの引き出しなどを楽器として使ったのが始まりらしい。ドラム缶を改良して作られたスティールバンと似たような来歴ではるが、スティールバンのように人気を得ることができるのだろうか? 
 しかし、世の中は知らないことだらけだ。何? お前が無知過ぎるだけだって? 当たっているから反論はしない。

カホンの演奏.JPG真ん中の男性が箱をたたいているカホン.jpgカホンには穴があいている

2012-05-29

外国人墓地

外国人墓地.JPG 先日、再度山にある神戸市立外国人墓地の見学会に行ってきた。小野浜、春日野と移転し、現在の場所に整備されたのは、1961年(昭和36年)のこと。最初は自由に見学ができたが、日本人のマナーがあまりに悪いため、遺族からの抗議を受け、見学不可能に。しかし神戸の近代化を知る上で需要な役割を果たした外国人たちが眠る墓を見学できないのは残念!ということから、遺族と協議を重ね、見学日時と人数、撮影場所などのルールを取り決めて2006年(平成18年)に再開された。
 さて実際に訪れてみると、その広大さに眼を見張る。約14ヘクタールもの広大な敷地に、世界60カ国2600柱が埋葬されている。見学できるのはその一部だが、キリスト教の他にも、ユダヤ教やイスラム教、ロシア正教など、宗教によって墓の形も様々。中には日本では珍しいフリーメーソンやゾロアスター教(拝火教)の墓もあった。
 ガイド役の方の説明は詳細を極めており、E・H・ハンター、フロインドリーブ、A・C・シム、J・W・ランバスなど、神戸の発展に多大な貢献をした外国人についても認識を新たにした点が多い。中にはまったく知らなかった、リチャード・ゴードン・スミスなる人物に大いに興味を持つ。
 神戸の近代化、いや日本の近代化を知るには、この地に眠る外国人たちの理解を抜かすわけにはいかないと改めて思い知らされた見学会だった。

2012-05-14

いよ〜、太っ腹!

 5月13日(日)、毎年楽しみにしているイベントの一つ「第12回神戸新開地音楽祭」へ出かける。なんせ、6カ所(今年は4カ所)の野外会場を使って、ジャズ、ロック、ブルース、ソウル、ゴスペル、ポップス、アカペラ、吹奏楽など、多彩なジャンルのライブを同時に味わうことができる。しかもすべてタダ。「いよ〜、太っ腹!」と思わず声をかけたくなるほど、ありがたい音楽祭なのだ。今回は、公園ステージに腰を据えて、午後1時から8時までほぼぶっ通しで、ジャズ、ブルース、ソウルを堪能した。夕暮れ時のライブ会場の風景も素晴らしい。これからも続けてくださいね。お願いですよ〜。


新開地音楽祭.JPG・・泥酔シスターズ楽団.JPG

新開地音楽祭の様子.JPG

2012-04-24

そない大きな柄して、切り絵なんかしはるの?

リゾート.jpeg 「コタ・キナバルで読書」 某アート系カフェでビールを飲んでいたときのことだ。壁面に貼ってあった切り絵が眼につき、カウンター内にいるおばちゃんに思わず漏らしてしまった。「私も切り絵、やってますねん」。おばちゃんは怪訝そうな顔をするので、iPhonに取り込んだ作品をいくつか見せたところ、ふ〜んという顔をして言ったものだ。「そない大きな柄して、切り絵なんかしはるの?」。私は思わずのけぞった。切り絵と体の大きさは関係するわけ? 切り絵は確かに細かいテクニックが必要だ。チマチマ感が漂うのかもしれない。大男が体をかがめて細かいことをする姿が似合わないとでも思ったのだろう。

 だが、どう思われても構わない。切り絵には独自の魅力がある。大胆かつ繊細に白と黒の2色に切り取られた人物や風景をみると、まるでその瞬間に時が止まり、永遠の刻印が押されているように感じるのだ。鉛筆で描いた下絵の下に、黒い紙を敷いて、重ねてカッターナイフで慎重に切り取り、上の下絵の部分を外したときに現れる黒紙の絵柄を見るときは、小さい頃、日光写真に興じたときのようなトキメキやワクワク感がある。しまった!今週のコトバを「切り絵の魅力」とでもするべきだった。

2012-04-24

「続・ダラーガ通信」に決定!

 「ダラーガ通信」の容量が満杯だということで(この程度で満杯というのも困ったものです)、やむなく新しいダラーガ通信を立ち上げる羽目に。そこでネーミングをどうするかの問題に直面。ダラーガ通信の後ろに「2」「パート2」「第2章」といった数字をつける手もありますが、面白くありません。そこでシリーズ物の映画として思いつく「悪名」「兵隊やくざ」「座頭市物語」「忍びの者」「男はつらいよ」「仁義なき戦い」のタイトルを調べてみました。結果は、以下の通りです。

「悪名」→「続・悪名」→「新・悪名」→「続・新悪名」→「第三の悪名」→「悪名市場」
「兵隊やくざ」→「続・兵隊やくざ」→「新・兵隊やくざ」→「兵隊やくざ 脱獄」
「座頭市物語」→「続・座頭市物語」→「新・座頭市物語」→「座頭市凶状旅」
「忍びの者」→「続・忍びの者」→「新・忍びの者」→「忍びの者・霧隠才蔵」
「男はつらいよ」→「続・男はつらいよ」「男はつらいよ フーテンの寅」→「新・男はつらいよ」→「男はつらいよ 望郷篇」→「男はつらいよ 純情篇」
「仁義なき戦い」→「仁義なき戦い 広島死闘篇」→「仁義なき戦い 代理戦争」

 こうしてみると、シリーズ物の第2弾は「続」、第3弾は「新」がつくことが多い。そこで今回のタイトルは「続・ダラーガ通信」に決定しました。さらにこの先10年以上続けば、「新・ダラーガ通信」→「ダラーガ通信 望郷篇」になるはずですが、さて…。

 それにしても6つ採り上げたシリーズ物で、「悪名」「兵隊やくざ」「座頭市物語」の3作の主演はいずれも勝新太郎です。いかに勝が役者として異彩を放ち、見る物の心を捉えていたかが分かります。これ以上の役者は当分出てこないでしょうね、きっと。

続・悪名.jpg続・兵隊やくざ.jpg続・忍びの者.jpg