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ジンバブエ再考

経済が破綻した国。悪いのは誰だ?

アフリカのジンバブエは、第二次大戦後、最高のハイパーインフレに見舞われた国である。ジンバブエ滞在29年の高橋朋子さんにインタビューした内容をもとに、改めてジンバブエについて考え、まとめてみた。

DSCN8970.JPG高橋朋子さん
1953年小樽生まれ。ボブ・マーリーの影響を受けて、1986年にアフリカに渡り、ジンバブエの首都ハラレに移り住む。日系企業や日本大使館などに勤務したのち、1992年に文化伝承の拠点施設「ジャナグルアートセンター」を設立。コンサートや音楽教室を開催し、2002年から日本ツアーも始める。

ジンバブエ理解のための基礎知識

 個人HP「続・ダラーガ通信」で、ジンバブエ滞在29年になる高橋朋子さんが率いる音楽グループ「ジャナグル」とジンバブエについて2回掲載した。1本目は、2012年6月18日の「なぜか、ジンバブエ」であり、2本目は、同年7月11日の「アフリカン・ビートに驚愕!」である。
 ジンバブエという国名を、高橋さんから初めて聞いてから私の関心は高まるばかりであり、アフリカ関係の資料に目を通したりしたが、やはり実感値は、30年近くも滞在し、子どもたちのために文化伝承の拠点施設「ジャナグルアートセンター」を作り、さらに生徒たち「ジャナグル・ジュニア」でツアーを組んで日本で公演している高橋さんにインタビューする他ないだろうと結論。今年の3月21日、前回のような立ち話ではなく、私のオフィスで腰を据えてじっくりと話を聞くことができた。

 まず、ジンバブエに関する基礎知識として、「なぜか、ジンバブエ」から次の部分を紹介しておきたい。すべてネットから得た情報をもとに書いたものだ。

ジンバブエ・地図.png 「南アフリカの北隣に位置して、かつてはローデシア共和国という国名だった。ローデシアなら知っているぞ。かつての南アフリカと同じように、少数の白人だけが実権を握る悪名高いアパルトヘイトを行っていた国だ。そのローデシアも、1980年に総選挙の結果、黒人が実権を握り、ジンバブエ共和国が成立した。普通なら、そこで目出たし目出たしとなるところだが、そうはいかないのが人間の浅はかさ、欲望の深さ。初代首相になったムガベ(1987年には首相職を廃止し、大統領に就任)のとんでない政策のせいで経済は破綻。世界最悪のインフレ率を更新。失業率は国連の発表で94%という有様。さらに秘密警察による監視や反体制派への暴力や言論統制を敷くなど、「世界最悪の独裁国家」と評されている。」

ハイパーインフレ体験談

札束を抱える男.jpg さて本題に入ろう。まずここで触れている世界最悪のインフレ率とは、2007年から2009年にかけて起きたハイパーインフレのことであり、2008年7月には2億3100万%を記録。それは例えば1個1円のじゃがいもが、1年後には2億3100万円になるということだ。ほとんどジョークというか、SFの世界の出来事のようにしか思えない。だが、ジンバブエという国で実際に起こったことだ。紙幣がじゃんじゃん刷られて、何と最高額は、100兆ジンバブエドル札だ。0が14個もついている。これで何が買えるかといえば、パンがたったの2〜3個だという。モノの値段は1時間ごとに上がり、1日で3倍にもなることがあった。レストランでは、メニューの値段を1日3回も書き換えねばならないこともあったとか。

 こんな異常な世界を、高橋さんは体験した。100兆ジンバブエドル.jpg100兆ジンバブエドル
 「いやあ、すごかったですよ。例えば、学校の屋根に使うトタンを買いにいく。ジンバブエにはないので、南アフリからから輸入したトタンを波板にする。午前中に値段を聞いて、午後に取りにいくと値段が上がっているわけですよ。あるいは、ウガンダに行くために飛行機の切符を買いに行ったときは、紙幣の量が多過ぎて、友達が段ボールにお金を入れて運んでくれました」
 いやはや凄まじい。高橋さんは、ちょうどアートセンターを建設中であり、ジンバブエ経済破綻のあおりを受けて、何度も紙幣が使えなくなり、建設を諦めかけたことがあるという。
 「そんな時に、天の助け、神の助けで、コーディネーターの仕事が入ってきて、救われました」。
 NHKをはじめ、日本のテレビ局がドキュメンタリー等の撮影のためにジンバブエを訪れたときに、高橋さんは現地コーディネーターとして活躍した。

 このハイバーインフレが収まったのは、2009年1月、外国通貨取引を解禁し、ジンバブエドルの発行を停止してからである。外国通貨とは、米ドルであり、隣国・南アフリカのランドのことだ。
 「土曜日にアートセンターに練習にきた子どもに交通費を渡したら。これが最後のジンバブエドルでした。そのときに持っていたジンバブエドルは、全部、紙切れなってしまった。また稼がないといけない。そういうふうに何度かお金を捨てましたね」と笑う。
 ハイパーインフレは終息したものの、経済破綻によって国民の多くは仕事を失い、若者を中心に、人口の4分の1が、豊かな南アフリカに出稼ぎに出かけた。一時よりは、安定したというものの、依然として貧しい状況には変わりはない。

経済破綻の原因を作ったのは誰か?

 ではなぜハイバーインフレが起こったのか。高橋さんに取材後、アフリカ、およびジンバブエ関係の本を探して読んだ。2010年に放送されたNHKスペシャル『アフリカンドリーム』の取材班による記事をまとめた新書『アフリカ 資本主義最後のフロンティア』(新潮新書)からまとめてみよう。
 経済破綻の発端は、2000年にムガベ大統領が打ち出した「農地改革」政策だった。ムガベ大統領は、人口の1%にも満たない白人が、肥沃な農地の大半を所有し、それが黒人に再分配されないことに批判が高まっていた。そのためムガベ大統領は、大農場を所有する白人たちから強制的に土地を取り上げ。それを黒人たちに分け与えるという強行策をとった。
 これに対して旧宗主国のイギリスをはじめ、欧米諸国が、この農地改革に強く反発し、ジンバブエに厳しい経済制裁を科した。さらに白人が持っていた農業技術や経営ノウハウが失われ、農業の生産力が急降下。食料が極端に不足した。ジンバブエの財政赤字が大きく膨らみ始めた。そこで2006年頃から、財政赤字の補填を理由に、ジンバブエドルの紙幣を大量に発行し続けため、凄まじいインフレが起こった。
 おおよその顛末は、こんな感じである。NHK取材班は、次のように結ぶ。
 独立してから30年、白人の植民地支配が残した「人種差別」と「格差」という負の遺産が、「独裁者」によってさらにゆがめられ、ジンバブエの人々をいまも苦しめている。

 他の本にも目を通してみた。『アフリカ53カ国のすべて』(PHP文庫)は次のように解説する。
 1900年代にムガベの汚職が取りざたされると、彼は地位を守るために財源なきばらまき政策を実施。さらに1998年には、内線の続くコンゴ民主共和国へ派兵を行うなどして、国の経済状況は急速に悪化。ムガベは白人を悪者に仕立てることで、国民の政府批判をかわそうするが、高い農業技術を持つ白人を迫害。彼らの多くが土地を奪われ、この地を後にした。これにより農業システムが崩壊し、インフレが加速する。
 実は、他のアフリカ関係の本を読んでも、おおよそこんな感じである。すべてはムガベ大統領の強権政治と、経済政策の失敗が招いたという論調だ。

高橋さんは、もっと悪いのは欧米であると断言

 「独裁者ムガベ大統領による経済政策の間違いによって、ジンバブエはハイパーインフレを招き、経済は破綻、90%以上の失業率を招いたという印象をもちますが」という疑問を高橋さんにぶつけてみた。
 ところが高橋さんからは、予想もしていなかった答えが返ってきた。問題の根は、欧米諸国であり、さらにIMFや世界銀行だという。
 「ジンバブエでは、電池を生産していたし、綿花が取れるからテキスタイル産業も大変進んでいた。IMF(世界通貨基金)や世界銀行がお金を貸しにきて、空港を建設し、公務員を削減した。ところがそれによって自国で生産し輸出していた産業が駄目になり、輸入する側になってしまった。経済は悪化し、貧富の差が広がった。安い中国製やインド製のものが入ってきたが、粗悪で一日ももたないものだった」
 この辺の事情は、グローバル化の名の元で行われている経済植民地主義のことかな、とある程度推測がつくものの、正確な事実関係はもう少し調べないと分からない。
 「2000年に新しい野党ができましたが、これは完全なイギリス製。民主化といっているけれど、イギリスに有利な政策を取らせるための政党としか思えません」
 さらに、高橋さんの舌鋒は鋭くなる。
 「日本の新聞記者が書く記事のほとんどが欧米の視点であり、アフリカから見ていない。西アフリカのマリに、アルカイダを鎮圧するという名目で4000人のフランス兵を進駐させたでしょ。マリはフランスの植民地だった国で、マリ進駐の目的はウランと石油です。当然、アフリカ人はそう思っています。欲しいものがないのに白人が近寄ってくるわけがないと、アフリカの人たちは言っています」
 確かに奇妙な事件だった。いや、いまも事態は進行しているというべきか。
 「シリアの反政府軍には、欧米に雇われた近隣国の傭兵がたくさんいると聞きます。アフガニスタンでは、無人爆撃機が使われている。ドローンというんですが、パキスンタンでもドローンで数千人もの人たちが殺されている。ドローンはアメリカのペンタゴンの一室で操作されており、誤爆で民衆が死んでも、誰も責任を取らない」。
 ドローンに関しては、アメリカのやり方は卑怯で、残忍極まりないと私も思う。高橋さんの説にまったく同感だ。だが、シリアやマリに関しては、実のところよく分からない。ただ、「日本の報道は、みんな同盟国のアメリカ寄り。事実はどうなのか、という疑いさえもたない」という説には大いに説得力がある。確かに日本のマスコミ報道は、アメリカの価値観のフィルターがかかっていることは間違いない。

米国がジンバブエを「圧政の拠点」として非難

 再びジンバブエに話を戻そう。新たに読んだ『日本人のためのアフリカ入門』(白戸圭一著・ちくま新書)の中で、著書である白戸氏がジンバブエについて取り上げている。
 白戸氏は元毎日新聞記者で、南アフリカ・ヨハネスブルク特派員として4年間、サハラ砂漠以南のエリアをかけずり回っていた経験をもつ。その彼が「アフリカの記事は書いてもほとんど紙面に載らない」と実情を語る。それほどに日本人にとってアフリカに対する関心は低かった。
 ところが日本のメディアがジンバブエ報道を始めるようなった。それは、2005年1月18日のアメリカ上院外交委員会の公聴会からだ。そこで国務長官のライス氏が、キューバ、ミャンマー、北朝鮮、イラン、ベラルーシ、そしてジンバブエの6カ国を「圧政の拠点」として名指しで非難した。それ以来、ムガベ大統領の独裁体制や、経済破綻の記事が目につくようなったという。なぜ、圧政の拠点としてジンバブエが取り上げられ始めたのか。その背景とカラクリを白戸氏は解説する。それを知れば、ジンバブエの経済破綻は、ムガベ大統領一人に負わせるわけにはいかないことが分かるだろう。

 それにはジンバブエの歴史をもう一度、振り返る必要がありそうだ。
 少数の白人のみが参政権を持つ人種差別国家だったローデシアだったが、アフリカ人勢力が武装闘争を活発化させた結果、1980年にジンバブエとして独立した。この独立の過程で、旧宗主国だった英国が少数白人政権と黒人解放勢力との仲介に乗り出した結果、独立後も、英国系住民の様々な既得権が維持されることが保障された。
 そのために経済格差は埋まらず、黒人たちの不満が募った。そこで独立直後から、新政府によってアフリカ人農民への農地の再分配政策が始まった。それは、ジンバブエ政府と旧宗主国の英国政府が費用を共同負担し、英国系農家から購入した土地をアフリカ人農民に分配する形ですすめられた。当初は一定の成果をあげた土地再分配だが、1980年代末からの土地高騰で事業は頓挫する。政府は1992年に土地収用法を制定し、ムガベ大統領は、1997年に土地改革の「再開」を宣言。同年10月の英連邦首脳会議で、英国のブレア首相(当時)と会談し、新土地政策への理解を求めるが、ブレア首相は、前保守党政権とは違って土地収用法に反対する。英国の働きかけで欧州連合(EU)や世界銀行のようなドナー(援助)機関もムガベ批判に同調して援助の凍結をちらつかせる。
 土地改革を求める国内世論とドナー国・機関との板挟みになったムガベが選んだのは「強権化」であり、英国系住民への抑圧と野党弾圧を強化した。結果、ドナーの援助停止、制裁措置などを機に、ジンバブエ経済は崩壊の道を歩むことになった。

2国間の土地問題を人権問題にすり替える

 問題の本質がここにある、と白戸氏は指摘する。
 わずか4000人ほどの英国系入植者が、農業に適した大国土の大部分を所有し、他方、多数のアフリカ人農民が過密と土地不足に追いやられている現実を、どうすべきなのか。
 1990年代末、土地問題が重大課題として再浮上したとき、ブレア労働党政権は、保守党政権がそれまで一応認めてきた「大英帝国のつけ」という考えを受け入れず、土地収用のための資金援助を拒んだ。そして土地問題にジンバブエ政府が固執すると、これを阻止するため、野党へのてこ入れなど、ムガベ政府の転覆を目標とするキャンペーンを展開した。まさに高橋さんが指摘していた通りのことが行われていたのだ。
 さらにブレア政権は、大国の力にものをいわせ、「2国間問題」を人権問題として国際化し、対ムガベ包囲網を作り上げた。
 英国は2003年3月に始まったイラク戦争で米国に同調してイラクに派兵をしており、ブッシュ政権はその見返りとして、英国が問題視するムガベ政権を「圧政の拠点」に加えたとみられている。
 つまりムガベ大統領の独裁支配も、欧米諸国との対立も、元をただどれば、独立後も温存された植民地型経済構造の問題に行き着く。英国は問題をすり替え、それに米国、EU、世界銀行なども尻馬に乗ったというわけだ。もちろん日本もそれに同調したことは言うまでもない。

ジンバブエの未来は?

 ジンバブエの現在は、どういった状況なのか。依然として高い失業率を抱えながらも、ジンバブエの社会は安定化の方向に向かっており、徐々に経済も活気を取り戻しつつあるようだ。
 「ジンバブエの将来に希望は?」と高橋さんに問うと、即座に「もてます、もてます」という元気で明るい声が返ってきた。「土地は肥沃だし、作物はとれるし、一年で雨期と乾期がはっきり別れていて、2回くらい主食がとれる。耕作文化も凄いし、酪農もある。素晴らしく良くなると思いますよ」
 さらにジンバブエは、アフリカの中でも治安が比較的いい。夜、暗い道を歩くなどしなければ危なくない。「空港でイミグレーションの人に引っ張られたこともなければ、強請(ゆす)られたこともない。ケニアの空港で、イエローカードがないなら50ドルでいいと言われたことがありますが、ああいうストレスはありません。人々は穏やかですよ」と高橋さんは付け加える。
 ジンバブエは、アフリカ諸国の中でもインフラ整備と教育制度が進んでいると言われている。南アフリカへ出稼ぎにいっても、教育レベルの高いジンバブエ人は重宝されている。実は、ムガベ大統領は元教師で、教育制度の充実には力を入れていたという話が伝わっている。これが本当だとすれば、この点に関しては評価されていい。
 そして自然がすばらしい。グレート・ジンバブエ、ヴィクトリアの滝など、世界遺産が4つもあり、かつては世界中から観光客が押し寄せていた。今後、観光客が再び増える日がくるだろうか。
 「首都のハラレは標高1500m。夏でも湿度が低いので、清々しいほどです。日本人がきたら、まるで軽井沢みたいだと言われます。9月、10月になると、ジャカランダという紫の花が一斉に咲きます。きれいですよ」とジンバブエの素晴らしさを伝えてくれる。
 そして「本当はリッチな国なんだけど、きちんと国民のことを考えてくれる心をもった人がリーダーになってくれたら」と願っている。

今年もジャナグルがやってくる!

 最後に、高橋さんと音楽の関係について触れておきたい。
 ボブ・マーリーに惹かれてジンバブエに渡り、心血を注いで「ジャナグルアートセンター」を完成させた高橋さんにとって、アフリカの音楽はつねに心を癒してくれるものだ。
 「こちらに暮らしていると、生活の中にいつも音楽とリズムがあると感じます。ンビラという伝統楽器の音色を聞くと、ストレスも雲散霧消しますし、歌を聴いていると、川底のすべすべの石、あんな感じがします。踊りもいいですね。アジアとはリズムが全然違う。踊っている途中でリズムがどんどん変わるんですよ」。
 アートセンターで育ったメンバーたちで組織された「ジャナグル」が、今年も日本各地を演奏して回る。
6月15日、モトコーでジャナグルの踊りと演奏を聞き、高橋さんにも再会した。彼らのライブを通じて少しでも多くの日本人がジンバブエのことを知ること、そしてアフリカの人々を思いやるきっかけになれば良いとつくづく思う。ちなみに、仕事がなかったら、きっと私はジンバブエを訪れているだろう。

DSCN9756.JPGモトコーを歌いながら練り歩くジャナグルのメンバー。 この後、伝統衣装に着替えて演奏をする



Column

ボブ・マーリー
『サヴァイヴァル』

サバイバル.jpeg

高橋さんがジンバブエに興味をもつきっかけとなったボブ・マーリーが、1979年、アフリカの平和を訴えた、最も闘争的なアルバム『サヴァイヴァル』を発表した。その中には「ジンバブエ」という曲が入っている。当時は、まだローディアと呼ばれたいた時代。ボブ・マーリーはこの歌で独立闘争を闘っている人々を勇気づけたのだった。そして翌1980年、ジンバブエが誕生。4月17日の独立式典には国賓として招かれ、感動のライブを行っている。

Column

その後のジンバブエ

ジンバブエ・新聞記事.jpeg

書き上げた原稿を高橋さんに校正をしてもらっている間に、7月31日、ジンバブエで大統領選挙があり、ムガベ大統領だ6選を決めてしまった。ムガベ大統領、何と89歳。独裁的体制は33年に及ぶ。











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