プロフィール
森垣 洋さん(高10期)
豊岡北中学出身。昭和37年、関西学院大学法学部卒。凸版印刷株式会社入社。営業、開発など様々な部門で活躍後、60歳で定年退職。平成19年4月より平成27年3月末まで大阪達徳会会長として活躍。趣味は、ゴルフ、ハイキング、囲碁など多彩。ゴルフのオフィシャルハンデ10。ホールインワンを3度達成。
リタイア後も驚くほどの元気ぶり。
達徳会会長として活躍。
ゴルフは年100回!
多くの皆さんの協力で会長職をこなすことができました
━━━大阪達徳会の会長職をこの3月末で退任された訳ですが、10年間ご苦労様でした。振り返っていかがでしたか?
- わりと早かったですね。10年間と言っても、大きな行事は年に1回の総会だけですから。総会の準備もハガキを出したり、細かい打ち合わせをしたりしましたが、年に数回の幹事会もそれほどの負担には感じませんでした。
━━━中断していた大阪達徳会を再開されるきっかけは?
- 12期の柴田さんや同期の方から、「神戸や京都には達徳会があるのに、大阪はなぜないの? ぜひ再開してほしい」とお尻を叩かれて始めました。そのかわり柴田さんにたちには手伝ってもらうことを約束してもらいました。
━━━その総会も毎年参加者も増え、上手くいっているように思いますが、いかがですか。
- そうですね。結果的には多くの皆さんが協力してくれたおかげだと思います。とくに幹事長の上賀さんは感謝しています。上賀さんに相談して断られたことがありません。「いやあ、それは」と言われたことがない。今から思うと、ほんとによくやってもらったと思います。
━━━とくに苦労されたことは?
- 苦労らしい苦労はありません。先ほども言ったように、僕自身、大変なことをやっているなという意識はまったくありませんでした。僕はそのへんは楽観的というか、無頓着なんですよ(笑)。
━━━やって良かった点は?
- とくにはありませんが、先輩がたを含めて人の広がりができたのは事実ですね。
━━━ハイキング同好会とゴルフ同好会が活発です。
- 会長になる前に幹事長を平成17年4月から平成19年3月までの2年間だけやっていましたが、そのときに、親睦を深めるために何かした方がいいだろうということで、総会でアンケートを配って参加者を募りました。あれは私のアイデアなんです。
━━━新会長の山川さんに期待されることは?
- 10年前に再開して、多くの方の協力があって軌道にのったように思います。毎年、達徳会の総会に参加することを楽しみにしている方もおられます。今後も途絶えないように受け継いで、次の代へと継承してほしいと思います。
スポーツ万能で、生徒会長もやる
━━━ところで高校時代は、どんな学生でしたか?
- バスケットをやっていました。中学からです。中学のときはキャプテンもやり、クラブの練習方法もぜんぶ僕が決めていました。中学3年の時、県大会で優勝したんですよ。春の大会で優勝して、秋の大会で準優勝でした。
━━━スポーツが得意だった?
- ちょっと自慢話になりますが、中学のときはスポーツ万能で、バスケットの他に陸上競技の選手もやっていました。明石の競技場へ三段跳びの選手で出ました。相撲部からも誘われましたけど、バスケの顧問の先生から「怪我をすると大変だから」と留められました。
━━━すごいですね。
- 中学時代は、僕、生徒会長もやったんですよ。会長選挙の時、対抗馬として出ろと言うから出たら当選してしまった。僕は、自らの意志で何かをするよりも、周りから推されて動くタイプですね。
━━━勉強は?
- 勉強は嫌いでした。とくに歴史は嫌いでしたね。
━━━大学は法学部ですね。
- 法曹界を目指して2回生まで法律研究会に所属していましたが、結局、勉強しきれずに、諦めました。
写真部とチラシ部隊を大きくする
━━━就職先は凸版印刷でした。どんな仕事をされていたのですか?
- 営業や開発などいろいろな部門を担当しまた。一番思い出に残っているのは、フィルムの入替方法も知らなかった僕が、写真部に配属されたときのことです。商業写真をとるのが写真部の仕事で、カメラマンやスタイリストなどの外部スタッフを一生懸命につくりました。ゼロから作り上げた感じですね。
━━━ゼロからの構築は、大きな仕事の手応えになりますね。
- 凸版印刷は55歳で役職定年なんです。そのとき、弱かったチラシの部隊を任されました。専門職なので部下は一人もいません。1年半くらいかけてデザインや版下を制作する外部スタッフづくりをやり、仕事を増やしていきました。結局、60歳で退職する時には部下は10人くらいました。
━━━これも大きなやりがいになりますね
- 少し前、ヤフーでぼくの生命判断を偶然見たところ、50代から充実すると出てました。僕の場合はちょうどそれですね。写真部に配属されたのが50歳くらいから。チラシは55歳頃からですから。
一緒に遊んでくれる友達の輪を広げること
━━━定年退職後生活は、どんな感じですか?
- 1〜2月は半分以上家にいますけど、それ以外の月は7日ほどしか家にいません。私のスケジュール帳をみたら、皆さんびっくりされます。今月の予定も、ゴルフ、ハイキング、囲碁、同窓会などでびっしりです。
━━━中でもゴルフ好きは有名です。
- 一番多いときは年間100回、次の年に101回やりました。3日連続でコースに出ていることもある。さすがにこんな頻繁にコースに出ることはやめました。いまは月に7〜8回のペースですね。
━━━リタイア後の人生を充実させる秘訣は?
- 一緒に遊んでくれる人が多いことですね。僕は車を運転しません。そんな人間が年に100回ゴルフができるのは、ゴルフ場まで車に乗せてくれる人に恵まれたからです。4人一組で回れるのも遊んでくれる人がいるからです。
━━━積極的に友達の輪をつくることが大切ですね。
- リタイアする1、2年前から意識的に友達づくりをしました。それが広がり過ぎていま困っています(笑)。僕は基本的には、人から誘われた遊びは、断った事がないんです。断るときには必ず理由を説明します。
━━━今日は、興味深いお話をありがとうございました。ますますのご活躍を期待しております。
(2015年4月27日取材)
<取材・文/竹内明久(高22期)>