プロフィール
上田慶子さん(高19期)
兵庫県美方郡温泉町(現・新温泉町)生まれ。大阪教育大学美術科卒。小学校教員として活躍。約20年のブランクの後、再び作品制作に打ち込む。2012年3月末に小学校教員を退職。2012年7月26日〜31日まで初個展を大阪心斎橋の小大丸画廊で開催する。
創造美術協会会員、大阪府美術家協会会員、羽曳野美術協会会員、どうとん堀クロッキー研究所会員、元スペイン国立プラド美術館財団会員、A.M.S.C.スペイン本部芸術家会員。
教員退職記念に絵画の個展を開催。
暖かみと奥行きのある風景画で魅了する
但馬の温泉町の風景が、私の原点!
━━━個展開催中の7月29日に取材させて頂き、ありがとうございます。それにしても大盛況ですね。
- めっちゃ多いですね。油絵やクロッキー、陶芸の仲間はもちろん、学生時代の仲間たち、職場仲間の先生たち、そして私の教え子たちも顔を出してくれました。昨日は、ミニパーティをやりましたが、大きな声を出し過ぎて声が嗄れました。
━━━初の個展ですが、これは教員の仕事を退職してからやろうと計画を立てられていたとか。
- そうなんですよ。公務員は副業禁止でしょ。個展を開くと、買いたい人がいるとややこしくなるでしょ。ですから、主人とも相談して、退職したらその記念に個展を開こうと話していたんです。
━━━ご主人も絵を描かれるのですか?
- いえいえ、主人も教員でしたが、絵の方は全然描きません。その主人も4年前に病気で亡くなりましたが、いつも私の絵を見るのを楽しみにしてくれていました。
━━━会場の小大丸画廊は心斎橋のど真ん中という素晴らしい立地ですね。
- ここは毎年、クロッキー仲間とグループ展をやっていたところなんです。スケッチ展も油絵の会もここでやっていました。それと大きな絵でも、この画廊なら遠くから眺めることができるでしょ。50号の作品を並べるならここしかないと思っていました。
━━━今回の個展では、販売もされている。
- それも個展を開いた理由の一つです。絵を家においていても、もったいないでしょ。できるだけ安くして、皆さんに飾ってもらった方が絵も喜ぶやろうし。売れ残った絵は、できれば寄贈しようかと思っています。例えば2年半前に私が病気で倒れたときに命を救ってもらった病院とかですね。
━━━上田さんの作品は、鳥瞰図的というか、広々として奥行きのある風景画が多いように思いますが。
- 風景画は私の原点なんです。小さい頃から絵が好きで、山の上から温泉町を描いた絵が評価されたのが、私の出発点なんです。雄大な自然の風景を見ると心が落ち着きますし、自然の美しさ、素晴らしさを描きたいという気持ちが常にあります。
━━━絵のために、国内外を問わず、ずいぶん旅行もされていますね。
- そうですね、スケッチは、その場で仕上げますし、油絵にしようと思ったときは、角度を変えて何枚も写真を撮り、それをもとにして描きます。
━━━上田さんの絵に対して、周囲の方はどう言っておられますか?
- 私の人柄とか人間性が絵にも現れているといわれるけど、自分ではわかりません。あと、言われるのは、絵の中に入り込める。絵の中に自分もいるような気にさせてくれると言われることですね。それと緑の豊富さですかね。緑の幅が広い。遠近感を緑一つで表すのは、緑の色を知ってないとできません。やはり緑に囲まれた田舎で育っているから、身に付いているからかも知れませんね。
豊高美術部の恩師のアドバイスで、教員の道へ
━━━教員をしながら絵を続けられたのは?
- 高校時代に美術部の顧問だった佐伯先生にアドバイスを受けたおかげです。絵だけで食べていくのは大変だ。だったら、中学や高校の美術の教員になって、豊岡に帰ってきたらとすすめられました。
━━━それで大阪教育大学の美術科に進学されたわけですね。高校時代は、当然美術部だった?
- そうです。授業が終わったら、毎日美術部の部室にいき、受験用に石膏デッサンの勉強をしていました。
━━━教育大学の美術科を卒業後はうまく美術の道に?
- 中学校教員採用試験に合格しましたが、その年は、中学の教員の枠がなくて、小学生の数が飛躍的に増えたときで、配属されたのは小学校でした。もう美術どころではなくて、授業の方に必死でした。
━━━思惑が外れて、大変でしたね。
- 下の子どもが中学に入ったときに、新しい小学校に移りまして、そこは比較的早く帰ることができる学校だったので、再び絵を描き始めました。
━━━豊岡高校時代の思い出は?
- 実家は温泉町なので、豊岡まで通うことができず、豊岡に下宿していました。町中の風景もけっこう描きましたよ。何よりも豊岡高校での佐伯先生との出会いが、私の進路を決めたようなものです。その意味でも感謝の気持ちで一杯です。
━━━温泉町と言えば、小学校は円形校舎でしたね。
- 円形校舎は、私が小学2年生のときにできました。扇形の教室で隣とドアで行き来できる、中央に螺旋階段があって、ユニークな校舎でしたよ。
━━━その円形校舎も既に取り壊されました。
- 夏休みに温泉町に帰ったときに、円形校舎を描いたことがあるんですよ。「その絵が、いま新しい校舎の玄関に飾ってあるから、見に来てください!」と校長先生からお手紙をいただきました。一度、伺おうと思っています。
━━━最後に、今後の抱負を。
- 今回の個展で、主人との約束を果たすこともでき、私には大きな区切りになりました。これからは今まで通り好きな絵を描き続けられたらいいなと思っています。
━━━今日はありがとうございました。これからも素晴らしい作品を描いてください。
<インタビューアー/HP制作担当・竹内>