プロフィール
岡本眞労務士事務所 代表
岡本 眞さん(高18期)
高18期(奈佐中出身)。立命館大学法学部卒。労務管理上の問題を調査研究する関西経営者協会(平成21年関西経済連合会と統合)に20年近く勤務。38歳のとき、国家資格社会保険労務士の資格を取得。41歳で独立し、「岡本眞労務士事務所」を設立。現在に至る。
<所属・資格>
大阪府社会保険労務士会会員(特定社会保険労務士)、日本経営士会会員、高齢者・障害者雇用促進機構 高齢者雇用アドバイザー、中小企業基盤整備機構登録サポーター
<著書・論文>
「新しい経営用語」(共著/法学書院)、「新人事制度事例百科」(共著/産労総研)、「情報処理産業の最新人事労務管理マニュアル」(神田書販)、「労基法改正に伴うモデル就業規則」(共著/コントロール社)、「デフレ下の賃金・成果ボーナスの設計」、小規模企業の成果給導入方法 コントロール社冊子 他
(オフィスHP)http://www.officejinji.jp/
(ブログ)http://blog.goo.ne.jp/makookayorosikudesu/
労務管理上の問題が起きないように、予防的な
コンサルティングができる。そこがやり甲斐。
大学時代の講義で、労務管理に興味を覚えたのが、
この道に進むきっかけ
━━━社会保険労務士になろうと思われたのは?
- 大学時代に窪田隼人先生の労働法で、労務管理のあり方に興味を持ったのがきかっけですね。当時は、八幡製鐵と富士製鐵が合併して新日鐵になったり、ニチボウと日本レーヨンが合併してユニチカが誕生するなど、企業の再編成と大型合併の走りでした。合併すると、従業員は整理されたり、複雑な人間関係の中で苦労することになります。労働組合の役割と経営者側の雇用継承手続きというか、労務管理のあり方が注目を集めていました。窪田ゼミでは、大型合併に伴う労務管理について研究しました。
━━━卒業後の就職先は?
- 僕たちの大学時代は激しい学生運動が起こっていました。ノンポリ学生になるのが嫌で大学の後半はセクトに属しない“べ平連の活動”をしていました。そのせいで、ろくに就職のための勉強や今で言う“就活”はほとんどしていません。大分、時期がはずれた時分にふらり、就職課に訪ねました。そしてその求人票の1枚に目が点になったんです。労働時間午前9時30分~午後4時30分、年間賞与6.5ヶ月以上、採用は若干名とあったんです。労働法規、賃金、労働時間、組織開発、従業員の教育訓練など、会社に採用されて退職に至るまでに起きる労務管理上の諸問題を研究する使用者側団体です。労働問題や労働政策に関心もありましたので、関西経営者協会という経営者団体に入局することになったわけです。居心地が良すぎたせいか、そこで20年近くも長居してしまいました。
━━━社会保険労務士の資格は?
- 関西経営者協会では、労働法令上の相談助言や賃金、生産性指標など労働経済分野での調査や専門委員会の運営などに携わりました。30代半ばころからは好きな教育研修や組織開発の業務も担当することができました。ですので、仕事の関連する分野での国家資格と言えば、社会保険労務士です。遅きに失したのですが、資格を38歳のときに取りました。人と企業組織での問題は非常に多岐多様に渡ります。そしてその解決も、容易に片付くものばかりではありません。しかしある程度、そういう労務相談でも自分で対応できるようになったという自信ができ、思い切って独立したのが40歳を過ぎたときです。
━━━社会保険労務士の仕事内容を分かりやすく伝えるとしたら?
- 例えば、給与明細をもらいますね。その中に、厚生年金保険料、健康保険料、介護保険料、雇用保険料などが引かれています。これらを社会(労働)保険と言っています。自分が病気になったり、怪我をして休んだりしたときの療養や休業の保障です。また失業した時には仕事先が見つかるまでの所得保障であったり退職後(老後)の年金など社会生活のセーフティネットですね。企業が従業員のためにかけている社会労働保険の加入や給付手続きなどを代行しているのが、社会保険労務士の中の、前半の「社会保険」の部分の仕事なんですね。
- 後半の「労務」は、従業員の採用から退職までの労務管理上のいろいろな問題を解決して、人のもてる能力をフルに活用できるような職場環境を整えていく仕事の分野です。お忙しい社長や企業の経営者さんに対して人事労務面のアドバイスをしたり業種業態に応じた様々な就業のルールづくりをしたり、また従業員さんと一緒になって会社の成長発展に向けたお手伝いをさせていただく業務ですね。私の場合は、後半の労務士の仕事を、20年以上、顧問料をいただきながらさせていただいています。
━━━経営にとって労務管理の問題はいつも大変ですね。
- 弁護士さんは何か問題がおきたときに、その問題をどういうふうに法律上解決していくか。いわば火消しの仕事だとすれば、労務士の場合は、むしろ問題が起きないように事前に環境を整える仕事です。いわば予防的な、組織防衛的なコンサルティングができるのが、私にとってはやり甲斐があるのかなと。
- 経営も一寸先は闇、人が経営の舵取りをするのですから、企業と人の研究は実に面白く、奥が深いですね。労務の分野は特にです。神秘的かつ得体が知れないのもヒト、無限の可能性を秘めるのもヒトです。この摩訶不思議な人の活かし方次第で、ビジネス競争を攻防する戦力はまったく異なってきます。まさに人は石垣・人は垣根・人は堀です。
リストラをせざるを得ないときは、
従業員に丁寧に説明することが大切!
━━━今のデフレの時代で、労務士として苦労されることは?
- 今年になってから、私どもの事務所でも、お客様の中に倒産したり、大リストラをされたり、ベンチャーキャピタルから見放される会社が出ました。倒産した会社では、従業員には何も知らされず、朝いったらクローズになっていた、ということもありました。そういうことにならないように、経営者任せにするのではなくて、従業員さんも一緒になって経営を担っていくためのパワーをもたないといけないと思うんです。
━━━中小企業には、従業員の意見に耳を傾けないワンマン型社長が多い?
- ワンマン経営者には、あなたが一人で汗水流し、悲壮感漂う表情で仕事をしなくてもいいんじゃないですか、と言っています。もっと社長の困っている顔や喜怒哀楽を素直に従業員に示すことのほういいですよ、と。よく言うじゃないですか。できの悪い親にはしっかり者の子供が育つと。逆もありですが。率直に従業員に投げかける方が、組織がまとまるのではないかと思いますね。
━━━従業員を信用して使い切る環境を作る。これが大切だと?
- それが前提にならないと、労務に関わるコンサルティングなんかできません。教育訓練や能力開発のお手伝いも長年やっていますが、従業員の一人ひとりは、みんなかけがえのない知恵と能力をもっているというところからスタートしないとね。
━━━非正規雇用者が全体の3分の1を超えていますが。
- いま、非正規雇用者には生活不安への怯えがあり、正規雇用者は過剰労働から慢性的な疲れがピークにきているんじゃないでしょうか。労働環境として不幸な状態にあるといえますね。私たちの若い頃も、過労死や鬱病はあったかも知れませんが、いまのように深刻な社会問題にはなっていませんでした。メンタル面での疾患が以前より確実に増えているのが実情です。
━━━本専門的な立場から、苛立ちを感じられるのでは?
- コンプライアンスが労務の分野でも注目されています。もっとも守られていない法律の中に、労働安全衛生法があります。人を預かる企業の事業主には、ケガをしない、させない、病気にならない、させない、そして皆が安心して働ける職場を実現するための職場環境づくりが最低限の義務であるという法律です。しかしこの法律がどれだけ守られているのか。ほとんどの会社が違反しています。端的な例をいいますと、50名以上の会社は産業医を専任して1ヵ月に1回、職場巡回をさせなければならないけど、そんなこと、やっていませんよ。
━━━義憤に駆られることも多い中で、仕事のやり甲斐は?
- 緊急で難しい問題が起きたときに、労働法規上の面からばかりでなく人間として真心から相手方に解決提案をして、きれいに片づいたときは、従業員さんからも喜ばれるし、経営者さんからも喜ばれることがあります。やっぱり一番、嬉しいしやって良かったなと思いますね。つい最近、従業員の3分の2を人員整理するという大リストラをしなくてはいけなくなったお客様がありました。解雇なんてそう簡単に事が運ぶものではないのですね。しかし目的の理由を経営者から説明をしていただき、整理のステップを示し必要な手続きを踏みながら、余剰となった方々と何回も話しあいを理解してもらうように進めていただきました。辞めてもらうのは気の毒ですし、責任も気持ちも重い仕事です。先日、28名から再スタートができたという話を聞いて、一つの道筋をつけて解決できたかなと少しほっとしたところです。
━━━説得のために必要なことは?
- そこは、月並みですけど、腹をわって、なぜこうしたお願いをしないといけないのか。率直に説明をして分かってもらえるように理由を説明するということしか、ないんじゃないでしょうか。だって経営者も従業員さんのために、すべてを犠牲にしないといけないのか、といったらそうでもないのです。有限責任というのがあるわけですからね。例えば、辞めて頂くときには、その理由をきちんと説明する。理由といってもちゃんと就業規則に根拠がないといけませんよ。どういう場合も言えることですが、こちらの意思がちゃんと相手に伝わっていないことには労務問題での処置はできないのです。言ったつもり、聞いていたはず、では何ら解決にならないし認識の効果としてはゼロなんです。実際に労務トラブルの原因で一番多いのが、この説明不足からきています。問答無用で、「生き残るためには仕方ないやろ。何で分からへんねん」。こんな言い方では絶対、駄目です。労使紛争の円満解決には、理由を懇切丁寧に説明していく。これがキーポイントのような気がしますね。
━━━それにしても大変厳しい時代ですね。
- でもね。そう捨てたもんではないと思っているんですよ。こんな長引くデフレで景気のいい話が少ない中でも、いろいろな会社が雨後の竹の子のように誕生したり、消えていっています。時代、時代に求められているものを、アイデアを形にして、サービスをしています。またグッズやアイテムも、一昔前には考えられないぐらいにいっぱい出回っていますね。いい悪いは別にして、はっきり言って今の若い人たちの感性や表現力は、僕たちの時代と比べて断然センスいいですよ。爆発的な需要を創りだす産業までにはなかなかいかないかも知れませんが、スモールビジネスの芽は今や花盛りですよね。これが起業として成り立つわけで、僕はそんなに悲観していません。足の裏をマッサージして、40分3000円の事業が成り立つと思いませんでしたでしょ。香りを満喫するアロマテラピーのお店もある。いまは時間とか癒しとか気分を買う時代。そんなサービスが多いじゃないですか。ところでシルバーエイジが興奮するような起業、何かないですか。
但馬と京阪神のネットワークを作れば
さらなる販路の拡大が期待できる
━━━ところで高校時代は?
- 実家は、五荘地域にある徳養寺という曹洞宗のお寺ですが、そこから自転車で通っていました。30分くらいかかりましたね。円山川をボート部が漕いでいる姿を見ながら帰ったことをよく覚えています。
━━━クラブ活動は?
- 考古学研究会でした。奈佐路に向かう福田は峠で、そこに古墳群がありました。毎週土日は、竹べらと棕櫚の箒とシャベル、リュックサック、弁当などをもって古墳を掘っていました。まるで宝探し気分ですね。実際に掘ってみると、錆びついた鉄剣や曲玉、埴輪などいろいろなものが出てくるわけです。鉄剣はたくさん出てきましたね。ただしボロボロですよ。
━━━クラブの仲間で、考古学の道に進まれた方は?
- 私の同級生だった亀田博くんは、橿原考古学研究所の主任研究員となって、大野安麻呂の木簡を田原の茶畑から発掘するなど、大きな仕事をしました。残念ながら亡くなってしまいましたが。
━━━岡本さんは、人一倍但馬への地域愛が強いという印象を受けますが‥。
- そう見えますか、嬉しいです。私なりに考える但馬の魅力は、食材、自然、人の3つですね。食材は、カニや但馬牛がありますし、自然も、世界ジオパークに認定された山陰海岸があります。人は申し分ない、との自負があります。こうした素晴らしいものがありながら、まだまだPR不足のような感じがします。
━━━東京の都心に、豊岡市のアンテナショップができました。
- 有楽町にある東京交通会館の中ですね。東京のショップを一つのモデルケースにするようですね。その次は京阪神だということも聞いていますが、現段階では、実現するかどうかわかりません。副市長にも直談判しましたが、はっきりいって行政は動きが遅いです。
━━━大阪達徳会の中で異業種交流クラブの事務局長をされていますね
- 豊岡高校という学縁と但馬という地縁をもち、京阪神にこられた豊校OBの中で、志ある活動の舞台が形成できないかとずっと思っています。私は、達徳会のこのクラブの事務局しかできませんが、豊岡のスポークスマンになってやろうという方々が集まって話をして、豊岡の産業を、京阪神の方から応援できる、そういう活動をしたいと思っていす。異業種交流クラブに我こそはと思う方は、ぜひ参加してくださいよ。
━━━但馬もいま活性化の動きが出てきていますね。
- 今ようやく若い人が田舎に帰って、経営者として、いまのIT技術や学んできたデザイン感覚などを活かして、盛んに情報を発信されてますね。しかし僕のみるところまだまだ“点”での動きでしかないように思います。一企業、一個人、一地域でのコネクションで活動している感がしてなりません。“点”と“点”、そしてまた同調者の“点”が出てきて3点になり4点になる、こういう協力や連携の機運がない限り“線”での活動に成り得ませんし、“面”としての本来の応媛ステージも見えてこないのです。
━━━ショップを作るだけでなく、様々なネットワークを上手に使えば、さらに販路を開拓できるのでは。
- 京阪神には、芸術、芸能、デザイン、マーケティング、専門士業、マスコミ関係者など達徳会OBで有能な方が一杯おられます。故郷但馬の産業支援のために大阪達徳会もここらで何か貢献する手立てを考えていってもいいのではないでしょうか。その一つが地域産業の販路開拓と達徳会OBとの連携協力があると考えています。
- しかしそれにはいくら僕たち京阪神在住のOBが手を差し伸ばしても地元産業界の姿勢が「ノー・サンキュウ」では、「小さな親切、大きなおせっかい」になって元も子もなくなりますね。異業種交流クラブでは、過去、これに似た苦い経験もしていて今、事業の再構築に向けてメンバーそれぞれが充電中なんです。もっと虚心胆懐に話し合いができてこちらの人材とマッチングするができれば、但馬と京阪神間にネットワークができ、販路も開拓できるのではないでしょうか。そして将来的に、ウィン・ウィンの関係を築くことができればいいな、と思っています。
━━━今日はお忙しい中、貴重なお話をしていただき、ありがとうございました。
<インタビューアー/HP制作担当・竹内>