沼田亘さん of 大阪達徳会



京阪神で頑張っている豊岡高校卒業生たちの集い

プロフィール

(株)昭和設計 代表取締役社長
沼田 亘さん(高22期)

竹野中学出身。神戸大学工学部建築学科卒。(株)昭和設計入社。2006年代表取締役社長に就任。2010年9月に本社を大阪市北区豊崎四丁目に移転。

<沼田さんの主な作品>
竹野町庁舎、宮本武蔵顕彰武蔵武道館、神戸ベイ・シェラトンホテル、ホテルノルド小樽、他
<著書>
建築企画の実践編集委員会編『建築企画の実践』(彰国社・1995年)、日本建築学会編『建築企画事典』(彰国社・2000年)
<役職・資格他>
日本建築家協会理事(2010年から)
一級建築士

<事務所の主な作品>
阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター、野島断層保存館、阿倍野複合施設、長居陸上競技場、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンPM、大阪市環境事業局舞洲工場、兵庫県立考古博物館、他多数
<会社ホームページ>
http://www.showa-sekkei.co.jp/jp/index.html

沼田顔写真.JPG

一番思い出深いのは「竹野町庁舎」。
生まれ故郷の竹野で、思い通りのものができました。

━━━建築の道を目指されたきっかけは?

  • 高校時代に漠然と建築家になりたいなと思っていました。当時は景気のいい高度成長時代で、万博の準備がスタートした頃でした。黒川紀章氏をはじめ若手建築家が一般の週刊誌にも出だして、建築家って格好いいなと。田舎にいたらよけいにそう思ったんでしょうね。

━━━実際に、建築に長年携わってみてどうですか。

  • 面白いですよ。設計は紙に自分の考えを表現していく。それで現場が始まると3次元で立ち上がっていく。自分の思っているものを作り込んでいくことを体験できる。さらに建物が完成して終わりじゃない。その建物が存在する限り、ずっと付き合いができる。それって、めちゃめちゃ楽しいですよね。場合によれば自分が亡くなってからでも、建築は残っていく。ある面4次元で仕事をしているようなものですね。

━━━今まで多くの建物を手がけていますが、一番印象に残っているのは?

  • 10年ほど前に自分の生まれ故郷の竹野町で竹野町庁舎の設計競技がありました。そこで勝ち、設計から現場まですべてに携わり、自分の思い通りに建築をつくり上げることができました。それだけに思い出深い。2001年に竣工しています。市町村統合後、豊岡市の竹野支所として今でも利用されていて、田舎に帰ると、建物を見て、ああ、元気にしているなとか、ああ、汚れてきたなとか、今でも何かと気になりますよね。
  • 外観.JPG内部.JPG

━━━庁舎はユニークなデザインですね。

  • ええ。北前船のイメージでデザインしています。外壁は自然素材の木でつくっています。議場が入るところなので、町の進んでいく方向を示すような意味を込めています。中に入りますと、天井が船底のようになっていて、上部のスリットから光が差し込んできます。海の底に潜って見た船の底のようなイメージで天井をつくっています。いまは議場が図書館になっていますけどね。

━━━外壁の色も煉瓦色で渋いですね。

  • 当時はもうちょっと明るい色を使うのが流行でした。でも建物の周りは全部山に囲まれているわけですから、山の緑との調和を考えないといけない。そこに変な色は使えない。ところが煉瓦色は緑と調和するんですね。しっとりと調和して見えるので、この色にあえてしました。

━━━竹野は北前船の寄港地だったのですか?

  • そう、寄港地でした。海水浴場の西側に出ている半島が北西の風を遮る。船が半島の陰に入り込むと、風待ちができる。だから寄港地としては、いい港だったみたいですよ。浜のところに、「北前舘」という北前船の資料舘もあります。写真や北前船の大きな模型もありますよ。
  • 北前船.JPG

━━━社長となった今は、設計の仕事をすることはない?

  • 200名ほどの所員がいますので、個別のプロジェクトは担当のチームに任せています。ある物件の設計の仕事がはいってきた場合、それをどう組み立てていこうかという話の中に入り込んで話を聞かせもらう。こうしなさいとはいわないが、自分の経験から、こういうことも考えられる、ということを若い社員たちと議論しながら、というのはありますね。

━━━若い建築家たちに伝えたいことは?

  • 有名でなくても、中に入って何か心に響く、感じる建築がある。そういう建築をつくらないといけない。作り手の気持ちがかなり入っていると、そういう気持ちを与えることができる。ぼくはそう思っている。いろいろなところに作り手の思いやこだわりが込められていないと、訪れた人にそういう気持ちをもってもらえない。だから徹底的にこだわる人間にならないと駄目ですよと言っています。そして訪れた人に感動を与える建築をつくってほしい。

━━━今後の戦略は?

  • 日本の市場がどんどん縮小していっている。公共の仕事が減っているでしょう。そこはあまりアテにせずに、会社が成り立つように考えると、足りない分を自分たちの守備範囲を広げていくという方法が一つあります。設計だけじゃなくて、設計に関わるいろんなところに広げてボリュームを増やしていく。もう一つは、海外に向けて広げていく。いま中国の上海に支社があります。

━━━この他にも新しい試みをされていますね。

  • 設計以外のところで活躍できる場所を探すことをやっていこうと、若手からそういう意見が出てきた。そこで「シーズ創造研究所」というのをつくって、若い社員たちにその研究所を任せています。

━━━話を沼田さん自身に戻します。高校時代は、どんな学生でしたか?

  • 高校時代は、あまり面白くなかったですね(笑)。煙の出る汽車にのって竹野から豊岡まで通っていました。先生からは、君たちは近年稀にみるできの悪い学年だと怒られながらやっていました。勉強もあまり身が入っていなかったと違うかな。建築家に対する憧れだけで、あまり目的をもった高校時代をおくっていないですね(笑)。

━━━但馬への想いは?

  • 私自身が気づかないところで、「君は、まったく諦めへんねえ」とよく言われる。「どんなことがあっても、君は諦めない性格やね」と。これは但馬人の特徴と違うかな。

━━━私もそう思います。そして竹野に出かけた時は、ぜひ竹野支所を見学してほしいですね。今日はありがとうございました。

              <インタビューアー/ホームページ制作担当・竹内

小樽.psdホテルノルド小樽

武蔵武道館.psd武蔵武道館