今週のコトバ集2 of ダラーガ通信

廃墟と映画(3/22)

 NPO法人J-heritageとの付き合いが始まってから、廃墟や近代化遺産の見学ツアーに参加する機会が増えた。つい最近も生野銀山で栄えた生野町の購買部の建物を利用した「生野ルート・ダルジャン芸術祭」に顔を出してきた。鉱山からの廃棄物であるからみ石や生野瓦を使った作品に地産地芸の妙味を感じたものだ。
 ところで、J-heritageの前畑理事長(まだ若いけどね)が好きな廃墟の一つが長崎の軍艦島であり、実際に見学して写真も掲載している。それを見ていて、軍艦島に似た廃墟が映画に使われていたことを思い出した。

 映画は1967年に上映されたフランス映画『冒険者たち』である。アラン・ドロン、リノ・バンチェラ、ジョアンナ・シムカスの3人が繰り広げる冒険活劇だ。人物の描き方も映像も音楽もストーリー展開も小気味よくお洒落で粋。そして最後の画面で登場するのが、ジョアンナの故郷の海に浮かぶ廃墟の要塞島。ここで海の音を聞きながら暮らすのが夢だった亡きジョアンナのために、リノ・バンチェラが島を買い、ホテルとレストランを建てる夢をここでアラン・ドロンに語る。最後、ヘリコプターから俯瞰撮影された廃墟がだんだん小さくなる場面に胸が締め付けられる。
 この映画に使われていた廃墟は、フォール・ボワイヤール。フランスのシャトラント地方、ラ・ロシェルという港町の沖合にある要塞島である。1802年にナポレオンが作らせたが、失脚して中断。その後、1860年に完成したが一度も使われずに1920年までフランス軍が管理。一時、刑務所に転用された後は放置されていた。1958年にベルギー人がホテルにするため買い取ったが、そのまま放置。1988年にパリのテレビ制作会社が所有権を買い取り、体力ゲーム競うバラエティ番組の舞台にしている。
 着地点の有り様に落胆せざるを得ない。それなら廃墟のままの方がましだ。できれば、やはりホテルにしてほしかった。冒険者たちの夢を実現したということで、大いに流行ると思うのだが…。





廃墟島.jpg『冒険者』に登場した、フォート・ボワイヤール




悪魔の楽器(3/13)

 最近、アルゼンチンタンゴのLIVEに出かけるようになった。音楽はジャズ、ブルース、ソウル、シャンソン、カンツォーネ、ファド、ハワイアン、ロック、ポップス、歌謡曲など、何でも好きだが、タンゴの曲を聴くと、途端に心がわし掴みされる。そのアルゼンチンタンゴを奏でる楽器の中で、もっともタンゴっぽいというか、タンゴでしか使われてない楽器がバンドネオンであり、そしてバンドネオンの誕生によってタンゴもまた進化したと言われる。

 日本では、同じ蛇腹式の楽器で形が似ているためか、アコーディオンとバンドネオンの区別さえつかない人も多い。アコーディオンは、音階がピアノのように規則的に配列されているが、バンドネオンはボタン型で、不規則に並んでおり、しかも蛇腹を押すときと引くときとで音が違う。この複雑極まりない楽器を弾きこなすのは相当難しい。だから、バンドネオンは、悪魔が発明した楽器と呼ばれている。

 バンドネオン奏者、仁詩(ひとし)さんは言う。
 「バンドネオンに限らず、どんな楽器も難しいですよ。ただ、バンドネオンの場合、最初の取っ付きは悪いでしょうね。相性もあると思います。音階が不規則だし、手元がまったく見えない。規則的に並んでいないということは、隣にスゴク高い音がいたりする。それだけにバンドネオンじゃないと絶対にできないようなフレーズもさらっと弾けることがある。取っ付きは悪いけど、そこをクリアすれば、非常に面白い。この楽器でしかできないことがいろいろあります」。
 悪魔の楽器を楽々と弾きこなすバンドネオン奏者は、私にはゼウスのように神々しく偉大に映るのだった。





バンドネオン.JPG仁詩さんのバンドネオン。第2次世界大戦前後に製造中止したアルフレッド・アーノルド社のドブレA(DobleA)




鳥瞰図の愉悦(2/24)

 Bar Heavenで知り合った青山大介さんは、過剰なまでに船好き、神戸好きであり、かつ数少ない鳥瞰図作家だった。その彼が昨年11月に開催した展覧会に行き、そこで撮影したのが下の写真である。神戸のJR沿線から神戸港までの三宮・元町界隈が緻密に描かれている。自費でヘリコプターをチャーターし、航空写真を約1700枚撮影し、街を歩いて建物の窓や階数を丹念に調査。約5年の歳月をかけて完成させた。青山さんの次の作品は、私が住んでいるポートアイランドになるらしい。何とも楽しみである。

 断っておくが、私は鳥瞰図が好きだ。マニアではないが、かなり好きな方だと思う。鳥瞰図の魅力は、文字通り鳥の視点で広いエリアを見渡せる快感であり、地上に縛られている人間から解放されて鳥になったような自由感がある。昔は小高い丘や山、神社や仏閣、お城の高い位置から市街地を見下ろせば、それなりの鳥瞰図を描くことができた。「洛中洛外図屏風」などはその類いだ。だが航空写真が可能になると正確で緻密な鳥瞰図が登場してきた。鳥瞰図は観光用にも多く利用された。大正昭和の広重と称された吉田初三郎が描いた満州占領時代の鳥瞰図は、日本が逆さまになっていて、遠くに南極まで描かれていた。これには度肝を抜かれたものだ。こうした誇張型もよし、緻密型もよし。いずれにしても鳥瞰図については、機会を改めて書きたいと思っている。


青山さん.JPG青山大介さんと作品

鳥瞰図.JPG作品の一部を拡大すると

巨大なセリ(2/13)


 セリ(迫り)とは、舞台で使う昇降装置のことで、役者や大道具を乗せて奈落と舞台の間をセリ上がったり、セリ下がったりする。セリといえば、出石の永楽館の奈落に入り、人力で昇降機を回したことがある。けっこう力がいるものだ。何でも、日本でセリを最初に考案したのは、大阪の狂言作者・並木正三で1753年のことらしい。彼は廻り舞台も考案している。
 それはさておき、ここで紹介するセリは、何とも巨大である。人間ならセリの範囲内なら何人でも軽々乗せることが可能だ。実はこのセリは、護衛艦「いせ」のヘリコプター用のものだ。神戸の中突堤に停泊した護衛艦2隻が一般公開された。今まで体験した一番巨大なセリであった。暗い格納庫から乗り込み、セリが上昇すると、一転して青空が広がる甲板に出た。おかげで千両役者の気分を少し味わうことができた。




巨大なセリ.JPG

甲板.JPG

5代目は、看板娘(2/6)

 1月下旬の某日、平清盛ゆかりの史跡を撮影するために、午後から寒空の下をさんざん歩き周る。脚が棒状態になり、陽も傾きかけたので、今日はここで打ち切りと決め、湊川公園から新開地商店街にかかる頃、左手に焼き鳥屋の看板「八重亭上店」が目に留まる。「おお、ここか。有名な焼き鳥屋さんは」。ちょいと覗いてみると、もうお客さんで賑わっている。皮、身、肝と、熱燗を頼む。目の前で鳥が焼かれ、日本酒がちろりの中で温められている。
 秘伝のタレに漬けられた焼き鳥が目の前に出される。食べると少し甘みのある芳醇な味。日本酒を胃の腑に入れると、冷えた体が温まってきた。
 八重亭の創業は大正元年。100年の歴史を誇る老舗だ。3代目の西武治さんと次女である4代目の伊藤直子さんのコンビもばっちり。客とのやり取りも明るく微笑ましい。心まで温かくなる。そして驚いたのが、壁面中央に特製の木の椅子が取り付けられ、そこに直子さんの愛娘がちょこんと座り焼き鳥を食べていたことだ。こんな光景は生まれて初めて見る。中空の特別席だ。ここなら安全だし、すべてのお客さんを見渡せる。食べている焼き鳥は、お客さんがあげたものだ。「よかったな、花菜」と直子さんが声をかける。お客さんの顔も満足そうだ。看板娘である花菜ちゃんを中心に笑い声が絶えない。
 花菜ちゃんも嬉しいだろう。両親とおじいちゃんといつも一緒にいられるし、焼き鳥も食べられる。自然にお客さんとの接し方も身に付くに違いない。5代目は決まった同然だ。




DSCN3184.JPGちろりの熱燗と焼き鳥。旨いね!
八重亭.JPG中空の特別席に看板娘の姿が

「卓球小僧」が気にかかる(1/17)

 ファッションビジネス雑誌の編集をしていた頃、ウインドディスプレイ講座を掲載したり、国内外の優れたウインドディスプレイをカラー紙面で紹介していたせいか、街を歩いていても優れたウインドディスプレイには自然と目がいってしまう。職業病がまだ治っていないようだ。さらにいえば、街を彩るポスターや看板にも自然と目がいく。実際は、ない方がすっきりしている場合の方が多いのだが。

 そんな私が豊岡に帰省するたびに妙に気になり、思わず写真を撮ってしまうのがこの看板だ。特に斬新でもアーティスティックでもないが、やはりなぜか気になるのだ。なぜだろう? ちょっとじっくり考えてみよう。
 うん、そうか。懐かしさ。ノスタルジー。といった感覚に近いのかな。子供の頃、読んでいた「小学○年生」の学習雑誌、「冒険王」「漫画王」などの少年雑誌の表紙を連想させるのかも知れない。これらの表紙は、はち切れんばかりに健康的で満面の笑みを浮かべた少年少女の顔写真を使っていたものだ。

 そして看板にはストレートなキャッチコピーが。

 集中力を養う。「集まれ!卓球小僧」

 卓球小僧か。いいなあ。少年の心のど真ん中に思い切り打ち込むスマッシュ!って感じだ。
 ところで豊岡のような地方都市で卓球専門店が成り立つものだろうか、とよけいな心配をしてしまう。今度、帰省したときにでも、オーナーさんに尋ねてみようか。




卓球小僧.JPG

木質ペレットは、地方経済の救世主?(1/6)

 江戸時代のエネルギー供給源は、薪、炭、菜種油ぐらいだったが、近代国家づくりを目指した明治以降は、石炭と石油が主力となる。ところが資源に乏しい日本は、まず不足していた石炭を補うために満州へ進出、そして米国による石油輸出禁止後は、インドネシアの石油利権を獲得するために、無謀にもアメリカ相手に戦争を挑むに至った。ことほど左様に、近代日本にとってエネルギーは、頭の痛い問題であり、制御できない原子力に手を付けた遠因になっているように思う。

 元旦の夜、テレビで放映されたNHKスペシャル「目指せ!ニッポン復活」で3人のゲストが復活のための提案をしていた。3者ともに興味深かったが、中でも興味を引いたのが、日本政策投資銀行参事役の藻谷浩介氏の「里山資本主義」であった。内容をかいつまんで紹介すると、財政難に悩む地方自治体にとって一番大きな支出は、石油等のエネルギー支出である。そこで里山にある木材を製材した時に出る木屑を加工した木質ペレットを燃やして出るエネルギーを利用すれば、エネルギー代がゼロになり、さらに利益を得ることができという提案である。日本の7割は山である。その膨大な財産を利用しようというわけだ。CO2対策にも有効で、間伐材を利用することで里山再生にもつながり、不振に悩む林業の振興策にもなる。現在、日本全体のペレットによるエネギー比率は0.3%だが、今後、大きく飛躍する可能性があるという。

 ベストセラー『デフレの正体』で賛否両論を巻き起こした藻谷浩介氏だが、今回の提案は、私には目から鱗状態だった。木質ペレットについて、調べる価値はありそうだ。



木質ペレットが像.jpg木質ペレット
ペレットストーブ.jpgペレットストーブ