艀の時代 of 波止場通信


艀(はしけ)の時代

神戸港が、船と人と生活の匂いで充満していた頃

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 上の写真は、カメラマンの故三宅康夫さんが昭和46年にポートタワーから撮影されたものである。立錐の余地がないほどに肩を寄せ合っていた艀(はしけ)の群れ。今では想像もつかないだろうが、これがかつての神戸港の当たり前の風景だった。ちなみにこの場所は中突堤とメリケン波止場の間であり、「艀だまり」になっていた。

 艀は、河川や運河などの内陸水路や港湾内で重い荷物を積んで航行するために作られている平底の船舶。艀の多くはエンジンを積んでないため、自力で航行することはできず、タグボート(曳き船)によって牽引されながら航行する。いわば、水上トラックのような役目を担っていた。
 艀は荷物の運搬するものであり、また生活する場所でもあった。神戸海洋博物館で開催されている松本岩雄写真展「昭和の神戸港写真展 〜艀の詩が聞こえる〜」の写真を見れば、艀で遊ぶ子供たち、洗濯物を干す母親、晴れ着に着飾って艀から出てくる娘さんなどの姿が写されており、当時の生活ぶりが生き生きと伝わってくる。
 神戸港には、艀の他にも、タグボート(曳き船)、ランチ(通船)、パイロットボート(水先案内船)、繋船、食料などを積んだ「沖売り」の船などが盛んに往来し、活気を帯びていた。接触事故などもきっと多かったに違いない。

 その艀も、昭和44年の2130隻をピークに減少の一途をたどり始めた。理由はコンテナ船の登場である。陸上からの一貫輸送、荷役の効率化・合理化を目的に誕生したコンテナ船の誕生は、海上輸送革命と言われている。革命には犠牲もつきものであり、艀の需要は激減。不要となった艀は、木造は人工島で消却され、鋼鉄製はスクラップにされ、神戸港から瞬く間に姿を消していった。写真に写っていた「艀だまり」も埋め立てられ、昭和62年にメリケンパークへと変貌。現在、神戸を代表する景観の一つを形成している。

 すべてに効率化が優先される時代である。最大の効率化とは人件費の削減であり、その点でコンテナ化は狙い通りの成果を上げたことになる。だが、一方で艀での仕事を奪われた人たちは転職をし、港の生活に別れを告げた。産業構造の転換といってしまうのは簡単だが、割り切れなさと寂しさが残るのは、私だけではあるまい。

Column

『暗いはしけ」

 艀といえば、ポルトガルのファドの女王、アマリア・ロドリゲスが歌う有名な「暗いはしけ」を思い出す人も多いだろう。だがこのタイトルは明らかに翻訳ミス。本来は「黒い小舟」の意味。歌詞の中身から考えても、自らの意思で沖に出ることができる動力船でなければならない。
 ただ、動力船に曳かれて波間を漂う艀のイメージが、明確な目標も持てず、不安な日々を暮らす人々の心を捉えたことは十分想像がつく。それに「暗い」という形容詞がつくことで暗鬱な雰囲気をさらに増幅させることになる。その意味では、名誤訳だったのかも知れない。

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