散歩5 of ダラーガ通信

冬でもないのに篠山へ

歴史的建造物が多く、懐かしさに溢れたレトロタウン。
よく整備されていることに感心!


 篠山といえば、ぼたん鍋。冬に訪れる方がいいのだが、うららかな春の陽気に誘われて篠山へ。しかし電車&ウォークは時間がかかる。JR篠山口についてからも、市街地へさらにバスで15分ほど乗らねばならない。

 到着後、観光協会から入手した案内図を頼りに、大正ロマン館(旧篠山町役場)→篠山城跡→篠山城大書院※→青山歴史村※(旧篠山藩藩主青山家別邸)→武家屋敷安間資料館※→大衆食堂で昼食(篠山名物の「牛とろろ丼」)→春日神社→歴史美術館※(旧篠山地方裁判所)→ほろよい城下蔵→丹波杜氏酒造記念館(残念ながら休館)→河原町妻入商家群と、ぐるり一巡り。それにしても我ながらよく歩くね。

 篠山を訪ねるのは、20数年ぶりなのだが、改めて市街地を歩いてみると、江戸から昭和初期までの歴史的建造物が多く、それらがとてもよく整備されていることが分かる。例えば、石垣の立派な篠山城跡も歩きやすく整備されているし、復元された篠山城大書院では、篠山城の歴史をまとめた13分のビデオが分かりやくできている。また、歴史美術館は、篠山地方裁判所を利用したものであり、我が国で最も古い木造裁判所らしい。法廷もそのまま残っている。また、※印がついた4箇所の共通券は600円と割安なのも嬉しい配慮だ。

 他にも、江戸時代お城番付の手ぬぐいや、浪花千栄子、水原弘、由美かおるなど懐かしい顔が微笑むホーロー看板に出くわしたりした。好事家には堪らないだろうな、などと思いながら帰路についたのだった。

元・料亭?.jpg二階町のバス停の前にあった家。料亭なのだろうか?
篠山城跡.jpg篠山城跡の入り口。立派な石垣が残っている大書院.jpg復元された篠山城大書院。中で篠山城の歴史が分かる

美術館.jpg歴史美術館館は、かつて篠山地方裁判所だった地方裁判所.jpg当時の法廷の様子がそのまま残されている
うだつ.jpg河原町妻入商家群の一角。うだつが異様に目立っていたDSCN9196.jpg陶器やオブジェなどが展示されている「ハクトヤ」の外観

ホーロー看板.jpg懐かしいホーロー看板に出会う


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“何を今さら”伊勢詣で

江戸時代の人々の気分で
おはらい町や川崎の町並みをぶらぶら

伊勢参宮 大神宮へもちょっと寄り

 「お伊勢さんに行くの? あたしは小学生の頃、遠足で行ったもんね。え、何? あなた、今まで行ったことない? それはいけないね。日本人なら、一度はお参りしておかなきゃ」
 というような案配で、遅まきながら2月某日、伊勢詣でへ出かけることになった。
 実はといえば、伊勢詣での主たる興味と関心は、参詣そのものよりも、その周辺の街並み、おはらい通りにある。何せ、江戸時代以来、日本全国から参詣にきた人たちをもてなしてきた場所であり、当時の日本人たちは伊勢参りを口実に旅を楽しんだのである。そんな当時の人々の気分を味わいたくて出かけたのだった。
 伊勢参宮 大神宮へもちょっと寄り
 当時の川柳にもあるように、参拝にかこつけて旅を楽しんだのである。

外宮参拝。おはらい町で腹ごしらえ

 午前11時、近鉄伊勢市駅に到着。駅前から徒歩5分のところに外宮がある。まだ寒い時期なのに観光客がけっこう多い。旗をもったツアコンの女性について歩く団体客もかなりの数だ。「さすが、お伊勢さん!」と思わず唸った。
 砂利を敷き詰めた境内を歩き、神楽殿、ご正宮、風宮、多賀宮と順番に巡る。御正殿では、白絹の場所から礼拝するが、さらにその中で特別に宮司と一緒に礼拝している人たちもいる。その場所に敷き詰めてある石は恐ろしく大きい。ハイヒールを履いた女性は、倒れそうになりながら歩いていた。ところが宮司は、底が平らなこっぽり状のものだ。「履き替えさせてあげればいいのに」とよけいな心配をしてしまう私であった。

 次は内宮へ行くために、バスに乗ったものの、大渋滞。普通なら10分で着くのに、30分も掛かってしまった。何でも午前中にマラソン大会があったらしい。そういえば、内宮を歩いていると、マラソンを終えた人たちがスポーツウェア姿で、「ついでに参拝でもして帰りましょか」といった様子で歩いていた。
 広い内宮を歩く前に、伊勢名物で腹ごしらえだ。手こね茶屋内宮店に入って、「てこね寿司」と「伊勢うどん」のセットを注文。てこね寿司は、寿司ネタには珍しくカツオが使われている。溜まり醤油をつかっていて、思いの他、癖になりそうな味だ。一方の伊勢うどんは、緬が太くて腰がなく、ざらっとした感じ。大阪のようにつるつる食べられない。食感ともにイマイチだった。

さらに広い内宮へ

 内宮は、外宮よりも歴史も古く、敷地面積も広い。五十鈴川御手洗場で手を清めてから、ご正宮、荒祭宮などを巡る。御手洗場は、階段状になっていて、手を浸すことができる。五十鈴川の美しさ、川の水の透明さは特筆ものだ。徳川綱吉の母親が作らせたそうだ。
 外宮も内宮も、基本的には何もない空間であることが特徴的だ。玉砂利が敷き詰めてあるだけで、垣根で囲まれた四角い空間になにやら清浄な気配が立ちこめている。神器が収めているのだろうが、その姿は隠されている。そんな所に、仏教伝来とともに、様々な仏像が我が国に現れると、庶民としては仏像の方が有り難く、御利益があると感じたに違いない。

おはらい町に関心&感心。そしてふらりと立ち飲み

 いよいよ内宮からおはらい町へ。さすが、江戸時代から多くの参詣客を集めてきた場所である。通りも広く、左右の建物も大きくて風格がある。伊勢講をつくり、積み立てたお金で順番に伊勢参りを行っていた江戸時代はかなりの数の人々が伊勢詣を行っていた。また、その散在ぶりも半端ではなかったようだ。伊勢講を仕掛け、さらに伊勢参りに来た連中を豪勢にもてなしたのが御師(おんし)と呼ばれる存在。その御師の館が、いま業種を変えて、このおはらい町に並んでいる。
 歩いていて、その店構えと雰囲気につられて、ある立ち飲み屋さんに入っててしまった。お店のバックには、ずらりと酒樽が並び、カウンターの中には、前かけをつけたおばちゃんが立っている。1杯230円の白鷹を注文すると、塩の入った小皿を一緒に出してくれた。指で塩をなめながら冷や酒を喉に流し込む。いあや、上手かった。
 おかげ横町では、雑踏ぶりに閉口しながら「おかげ座」に入る。シアターは終わりかけで、次に江戸時代のおはらい町や、遊郭のあった古市などを縮寸で模したテーマ館を見て回る。雑音が多くて性能の悪いスピーカーを使っておばちゃんが説明してくれる。「江戸時代は、栄養が悪くて、平均身長は、男性が145cm、女性が140cmほどでした」。それは低すぎる。ひょっとしたら、聞き間違いかも。

ノスタルジックな河崎のまちなみをぶらり散歩

 そんなこんなで、おはらい町を楽しんだ後で、バスで、近鉄宇治山田駅へ。そこから江戸時代の街並みが残っている伊勢河崎商人館まで歩くつもりだ。駅前の案内板の前で道順を確かめていると、叔父さんが声をかけてくれた。行き先を言うと、「散歩がてら、私が案内しましょうか」と親切な申し出。お言葉に甘えることにする。
 「江戸時代から残っている料亭麻吉に泊まりたかったのですけど、日にちがなくて日帰りです」
 「それは残念ですな。私たちは、毎年忘年会をそこでやってますねん」
 「おはらい町で、思わず立ち飲み屋にはいりまして」
 「三宅酒店でしょ。私もいくと必ず、そこで一杯のんでますよ」
 こんな感じで話が合い、話が弾んで、地元情報をいろいろ伺いながら目的地へ、迷うことなく到着。別れてから、ぶらぶらと散策することに。瀬田川沿いにある河崎本通りには蔵が多く、それらをそのまま利用したショップもある。中でも伊勢河崎商人館では、つぶさに当時に酒問屋を見学。さらに酒屋が戦前製造したエスサイダーの復刻版(こちらを参照)を飲むなど、弥次喜多気分で楽しんだ、伊勢詣であった。

外宮火除橋.jpg外宮にかかる火除橋
外宮ご正宮.jpg外宮のご正宮。白布の前でお参りをする外宮土宮.jpg外宮にはこうした別宮がいくつかある

てこね寿司と伊勢うどん.jpg名物のてこね寿司と伊勢うどん五十鈴川.jpg内宮の御手洗場。水の透明度が高い
おはらい町.jpgおはらい町の建物の古さに驚く三宅酒店外観.jpg三宅酒店にふらりと入る

三宅酒店内部.jpg酒屋の中はこんな感じ。いい味です
赤福本店.jpgご存知赤福本店。寛永 年創業と書かれているテーマ館.jpgおかげ座では当時の風景を再現

古市.jpgこちらは古市の遊郭を再現瀬田川.jpg瀬田川沿いに問屋街が開けた

商人館で説明.jpg商人館で説明を受ける
3つの蔵.jpg3つ並んだ蔵が当時を偲ばせます

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京都御所〜洛東〜比叡山延暦寺

京都御所、紅葉狩り、延暦寺
一度に3つを楽しむ!

京都御所秋の一般公開で、妙なる雅楽演奏を見物

 秋らしい風景を撮るなら、やはり紅葉がいいだろうな。「いまがちょうど見頃」とテレビの天気予報で盛んに煽る。ついでに仏教2大聖地、比叡山延暦寺、そしてタイミングよく京都御所秋の一般公開の3つを組み込んだバスツアーを見つけて、さっそく申し込む。
 最初は、京都御所へ。ここは2度目(といっても以前訪れたのは20年以上前)。さすがに広い。よく手入れがされている。松の手入れの仕方も並大抵ではない。すっきりと刈りあげくん状態だ。
 御所内を歩いていると、妙なる優雅な調べが聞こえてくる。近づいてみると、雅楽演奏に合わせて男性2人がゆったりとしたテンポで踊っている。平安貴族の舞なのだろう。一般開放の5日間のうち、この日の午前中2回だけ演奏するらしい。なんとラッキーなことよ。
 重要な儀式を執り行う紫宸殿をはじめ、御車寄、諸大夫の間、天皇の日常の生活の場として使われた清涼殿、王政復古について会議をした小御所、蹴鞠の庭、などを見て回る。
 見学だけじゃなくて、宿泊体験ができれば面白いのだが、閉鎖的な宮内庁はきっと許可しないだろうな。

永観堂と南禅寺で、紅葉酔い

 続いて洛東エリアへ。ここで約1時間30分のフリータイム。まず紅葉で有名な「永観堂」へ行く。それにしても凄い人の数だ。紅葉狩りの人々が全国からここへ吸い寄せられるのではないかしらん。拝観料1人1000円。高い!が、仕方ないか。
 境内はいちめんの紅葉模様。あまりに多過ぎて「紅葉酔い」しそうで、観ているこちらまで紅葉色に染まりそうだ。お寺の中を歩くと、長谷川等伯派の屏風絵などが展示してある。有名なのは、「見返り観音」らしいが、あまり興味はないので、ちらっと見ただけで過ぎる。
 次は、南禅寺へ。広い敷地内に、紅葉の風景が雄大に広がっている。太陽の光を透かして輝く紅色がゆらゆらと幻想的に映る。石川五右衛門が「絶景かな」と言った三門の周囲を散策して、インクラインまで足を伸ばしてから集合地へ帰る。

高野山とは趣の違う延暦寺。根本中堂に漲る気配

 いよいよ次は、比叡山延暦寺だ。8月に高野山に出かけたので、これで仏教二大聖地(と勝手に付けている)を、やっと訪れることができる。
 到着した比叡山延暦寺の東塔エリア。高野山とは、随分と趣が違って戸惑う。山頂に117ものお寺を擁し、学校も消防署もみんな揃えた宗教タウンを形成している高野山に対して、比叡山のお寺は延暦寺だけ。東塔エリアには、東塔、根本中堂、阿弥陀堂、文殊楼などが点在している。横川エリアにいくと、さらにひっそりと佇み、世俗と隔絶された修行の場の雰囲気がする。
 さて、延暦寺の中でも一番重要な建造物が、根本中堂である。ここも織田信長の焼き討ちにあって焼失しており、現在の姿は、徳川家光公の命で1642年に竣工したものだ。それでも368年経っており、剥落した外壁や回廊が歴史を感じさせる。
 中に入ると、薄暗く、僧侶たちが読経や修行する内陣が、周囲より3mも低い石式の土間になっている。別名「修行の谷間」と呼ばれているらしい。ここで源信、法然、栄西、道元、親鸞、日蓮などが修行していたのである。この独特の構造と雰囲気が、とても印象的で胸を打つ。この構造を天台造、または中堂造とか呼ぶらしい。じっと凝視していると、僧侶たちの厳しい修行する姿が立ち現れるようであった。

雅楽の演奏1.jpg優雅な雅楽の舞を偶然楽しむことができました
雅楽の演奏2.jpg生演奏はやはりいい紫宸殿.jpg最も格式の高い紫宸殿はさすがに立派!
永観堂1.jpg紅葉の永観堂と言われるくらい有名らしいです
永観堂2.jpg紅葉が小川を流れる風情が最高南禅寺.jpg南禅寺の周辺も紅葉で一色でした
根本中堂.jpg根本中堂の入り口。ここから中は残念ながら撮影禁止です
根本中堂2.jpg石段の上から見た根本中堂の全景です
文殊堂.jpg受験生の合格祈願に人気のある文珠楼鐘楼.jpg鐘楼の鐘をつくのは、1回50円。安い!

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高野山〜龍神温泉

高野山は死者が甦ってきそうな別世界。
龍神温泉で夏の渓谷の風情を味わう

初めての聖地訪問

 別にキリスト教徒でもないのに、カトリックの総本山、バチカンに行きながら、日本の、それも関西に住んでいながら、仏教の聖地、高野山と比叡山、神道の聖地、伊勢神宮と出雲大社のいずれにも行ったことはない。
 仏教と神道に関する理解を深めるためにも、現場に行かねば!の気持ちもあり(さらに言えば、母親の実家は真言宗だ)、やっとこのほど高野山〜龍神温泉のバスツアーで出かけることにした。

山頂に誕生した宗教都市

 神戸から高野山までは、やはり遠い。約3時間かけてやっと到着した。高野山は約900mの高さに開けた宗教都市だ。六甲山の標高が931mだから、それほど高いわけではないが、バスで目的地まで続く道中が長く、高野山に近づくと、鬱蒼たる緑に覆われたS字カーブの連続が続く。ところが頂上付近になると突然大きく視界が開かれ、寺院が建ち並ぶ町が現れる。有り難みが一層増そうというわけだ。平地の気温が35度あったのに、ここは23度。10度以上も低い。避暑地としても利用できそうだ。

杉も墓も苔むし、死者も甦ってきそう

 それにしても、右を見ても左を見ても寺、寺、寺。寺のオンパレードだ。なんとその数117もある。
 バスは奥の院の入口、中の橋で停まり、そこから徒歩で参拝する。今度は、苔の生えた杉木立の間に、墓、墓、墓。墓もまた尋常ではないほど古くて、これまた随分と苔蒸している。一つひとつの墓所も大きなものが多く、豊臣家墓所とか加賀前田家供養塔などの名前が見受けられる。皇室、公家、大名、20万基以上。なんと戦国大名の6割がここに墓所を持っている。「聖地」と言われるだけのことはある。いま戦国武将が甦ってきても不思議に思わないだろう。そんな気分が漂っている。

子供の積み木遊びに見えてしまう五輪塔

 また、お墓の形に驚く。本で見た「五輪塔」と呼ばれる形が実に多い。この五輪塔が、密教の正しい形で、平安後期以降、作られたものらしい。楕円形、半月、三角、円形、方形の石が積み上げられており、かなりの大きさだ。でも何だか子供が積み木遊びをしたようにも見えておかしい。信者の方からお叱りを受けそうだが。
 ちなみに、この五輪塔に対して、ご近所の墓地で見る平べったい形のお墓を「一般和型」と呼ぶ。位牌を模したもので、江戸時代中期以降につくられたものだ。

催眠商法のような現地ガイド

 現地ガイドの男性のことに少し触れたい。僧侶ではないが、旅行会社と契約しているガイドが、奥の院の紹介してくれる。「今日、お数珠を持って来られた方。たった3人ですか。それは残念ですね」と、持って来なかった人間の不信心を非難するような物言いで、正しい数珠の持ち方とか、線香の上げ方などを説明する。時間がないのか、「南無大師偏照金剛」の唱えはやけに早い。
 ツアー参加者を持ち上げたり下げたりしながら、とにかく早口で大声で喋りまくる。なんとなく催眠商法の人間にも思えてくる。そして「せっかくのご縁ですから、大師様のお心をお家に持ち帰りましょう」と、線香、御守りなどを売店に連れて行く。「正体見たり、枯れ尾花」の心境だ。

4000人が暮らす町。土地はすべて総本山のもの

 ちなみにここにはお寺だけではなくて、土産物屋、レストラン、商店、学校、消防署、警察署など何でもある。人口約4000人のれっきとした町なのだ。
 ただし、土地は総本山のもので、商売人は地代を払っている。商店も殺生を禁じる仏教の立場上、表通りには肉屋や魚屋はない。でもそれは建前で、裏通りにはちゃんとあるらしい。まあ、人間らしくていいか。

龍神温泉の露天風呂で、夏を堪能する

 赤松院というお寺で、精進料理をいただいた後で、バスは、龍神温泉へ。紀伊半島のド真ん中あたりにある温泉郷で、日高川沿いに「元湯」がある。ここの露天風呂からの眺めは最高だ。緑の深い山々が広がり、青空には夏雲がぐいぐい力強く浮かんでいる。そして街中では聞かれない、法師蝉の鳴き声が耳に心地よく響く。つかの間の幸せ、この一瞬にあり、ってな感じだ。
 精進料理は、私には量的に少なく、帰りのバスでは、お腹が早くもすいてしまい、お土産用にかった秋刀魚寿司を食べてしまう。これが塩加減もよく美味しく頂いてしまった。

<メモ>
南無大師偏照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)
あまねく一切を照らす最上の者である大師様(空海)を信じますよ。というような意味だそうだ。


古い杉.JPG古い杉木立の間を歩く
五輪塔.JPGこれが五輪塔。密教の正しいお墓の形だ水かけ.JPG好きな仏像に水をかける

薩摩島津家.JPGこれは薩摩島津家の墓所
食事.JPGまだ生きているとされる弘法大師に毎日食事を運ぶ。これは食事を下げるところ。僧侶がいただく
バス.JPGさすが観光地。バスの停め方もアクロバチック!精進料理.JPG精進料理。おいしかったけど、量的には不満
並ぶ精進料理.JPG広い広間に並ぶ精進料理。何人分あるのだろ?
左甚五郎.JPG赤松寺の床の間に、左甚五郎作の虎置物がありました桜.JPG清浄心院にある桜の木。秀吉の句がある。「年を経て老木も花や高野山」
龍神温泉.JPG日高川沿いに龍神温泉がある

元湯.JPG龍神温泉の「元湯」。源泉かけ流しだ渓流.JPG露天風呂からの眺めは最高

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