映画の海

サンダカン八番娼舘 望郷

からゆきさんの史実に迫る作品。田中絹代の演技は絶品!

★★★★

 マレーシア旅行の関連で見た映画。実はこの映画は2度目だが、マレーシアにおける「からゆきさん」の歴史を確認するために見た。
 主人公のサキが、北ボルネオの最大の貿易港、サンダカンに渡ったのが1913年(大正2年)。当時のサンダカンの人口は約2万人で、日本人は100人ほどいたらしい。港町にはたいてい娼婦の家がある。このサンダカンにも日本人経営の女郎屋が9つあった。「八番娼舘」はそのうちの一つである。
 貧しさ故に売られたサキが絶望する2箇所のシーンには、大袈裟過ぎるほどの効果音が入る。一つ目は、下働きをしていればいいと思っていたサキが、男をとることを要求されるシーンである。
 もう一つは、兄の実家に仕送りを続け、1931年(昭和6年)に日本に帰ってきたときに、兄から「外聞が悪かとたい」と言われたシーンだ。たぶん、この時が一番辛かったに違いない。自暴自棄になり、サンダカンで貯めた財産も使い果たし、再び、からゆきさんとして、今度は満州へ渡って結婚。子供をもうけて終戦。夫を亡くして、息子と命からがら帰ってきたのだった。

 国立民族学博物館総合研究大学院大学教授の小山修三氏が、「日本は同質性を強調し、その枠に入らないものを疎外する傾向が強い」と中野不二雄氏の「マレーの虎 ハリマオ伝説」の解説で指摘していた。サキ絶望には、信頼していた家族から受けた疎外感が大きかったことは言うまでもない。小山氏の指摘は、今の日本にも通用する。日本人のDNAというべきものだろう。

 映画に関しては、サンダカンの場面が、すべてスタジオ撮影であった点に、リアリティ不足の不満が残る。だが、サキ役の2人(若い頃の高橋洋子、晩年の田中絹代)の演技は良かった。田中絹代はベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞。そしてこの映画が遺作となった。

 ちなみに、東南アジアにおけるからゆきさんの実態は、金子光晴の「マレー蘭印紀行」にリアルに描かれている。

サンダカン八番娼館.jpg1974年/監督:熊井啓/原作:山崎朋子/出演:栗原小巻、高橋洋子、田中絹代、田中健、水の江滝子

砂の器

推理小説の金字塔を映画化。面白いが、少々胃にもたれる

★★★★

 ある日、国鉄蒲田操車場構内で扼殺死体が発見された。被害者の身許が分らず、捜査は難航した。が、事件を担当した警視庁刑事・今西と西蒲田署刑事・吉村は地道な聞き込みの結果、事件前夜、被害者と酒を飲んでいた若い男の存在に行き当たる。今西と吉村の2人は東北なまりの“カメダ”という言葉を数少ない手掛かりに、男の行方を追う。しかし2人の執念の捜査もなかなか実を結ばず、犯人へと繋がる有力な情報は得られない日々が続いた。いよいよ迷宮入りかと思われたとき、小さな新聞記事がきっかけとなって、捜査は急展開を見せ始めた。

 残された謎の言葉。「市民ケーン」も死ぬ間際の言葉、「バラのつぼみ」という謎をさぐりながら、生涯を追いかけるものだった。この手の手法、他の推理作家もたくさん使っているんだろうね。きっと。
 推理小説が嫌いな人間でも、松本清張の傑作小説「砂の器」は知っている。映画も大ヒットした。しかし観ていなかった。それを観た。さすがである。力作である。楽しめた。でも不満は残った。
 納得出来なかった点が一つ。事件解決に大きな役割を果たしたのが、列車の窓から細かく切り刻んだ白いものを捨てていた女性を描いた新聞のエッセイだ。これを読んだ若い刑事が、これは血が付着している白いポロシャツではないかと思い、その記事を書いた新聞記者に会いに行く。なぜ思ったのか。それが不思議でならない。そんな天才的なひらめきってあるのかな?まあ、いいか。
 不満が一つ。最後の「宿命」の演奏のシーンがクライマックスなんだろうが、それもしても長過ぎる。くどい。重い。疲れた。すぱっと終わった方が個人的にはいいと思ったのだが。
 ちなみに最後に字幕で、ハンセン氏病についてのクレジットが大きな文字で写されるが、これはハンセン氏病の患者の会との話し合いによって、つけられたものらしい。

砂の器.png1974年/家督:野村芳太/出演:加藤剛、島田陽子、尾形拳

吹けば飛ぶよな男だが

なべおさみと緑魔子がいい味。
ほろ苦くも哀しい人情を描いたコメディ

★★★★

 山田洋次監督が大阪と神戸を舞台に、チンピラヤクザ(なべおさみ)と貧しい生まれの女(緑魔子)のほろ苦くも哀しい人情を描いたコメディ。大阪のチンピラ・サブは、仲間と共に家出娘・花子をナンパ。しかし、仲間を裏切ったサブは、花子を連れて逃げ去ってしまう。
 なべおさみ、緑魔子、芦屋小雁、みんな若い。若い頃から緑魔子は、小悪魔的、巫女的・娼婦的・妖精的(つまりは、小市民の対局的な不思議な存在だった)オーラを発しており、多くの男性を虜にしたものだ。 
 1968年制作ということは、1970年の大阪万博前に制作されている。最初のシーンは大阪だが、逃げたあとは神戸が舞台になっている。ポートタワーや、神戸港、そしてたぶん諏訪山あたりで撮影されたのだろう。
 ちんぴらやくざの描き方がいい。ちんぴら気分が抜けない駄目な部分と、心のやさしい部分が同居した、矛盾をはらんだ人間として描かれている。指をつめるシーンはかなりリアルだ。取材をした上で、戯画的に描いたものと思われる。

吹けば飛ぶよな男だが.jpg1968年/山田洋次監督/出演:なべおさみ、緑魔子、有島一郎、ミヤコ蝶々、佐藤蛾次郎

けんかえれじい

遊び心たっぷり。清純らしい痛快な青春ドラマ

★★★★

 やっと見ることができた。鈴木清順の傑作映画の一本。旧制中学時代の喧嘩好きな主人公がけんかに明け暮れる日々を、下宿の娘の恋心などを織り交ぜながら、ユーモアたっぷりにテンポよく描かれている。教頭らしい教師が会津精神を述べるときの口をクローズアップで挟み込むなど、至る所に清順らしい遊び心あふれたシーンがちりばめられている。
 残念なことが一つ。編集段階でかなりカットされている場面が多いことだ。たぶん2時間以上の映画になっていたはずだ。上演時間を1時間半にするために、強引に削除した場面が多すぎて、場面が不自然に飛んでいる。もし可能ならば、ノーカット版か、ディレクターズカット版でも出ればいいのだか。

けんかえれじい.jpg1968年/監督:鈴木清順/出演:高橋英樹、浅野順子、川津祐介、宮城千賀子、松尾嘉代

キューポラのある街

貧困層の家族をいきいきと描いた秀作

★★★★★

 昔から気になっていた映画をやっと観る。噂通りの名作である。
 時代は、クレイジーキャッツのスーダラ節が流行していた頃だから、昭和30年前後か。場所は当時は鋳物工場の街として知られていた埼玉県川口市。その中でも貧困層の集まる長屋が舞台になっている。
 感動したのは、登場人物がイキイキとリアルに描かれている点だ。脚本が実にいい。貧乏でも逞しい子どもたちの姿や、職人気質丸出しの無学な親父、差別を受けながら活きている朝鮮人の親子など、いずれもリアル。役者の演技もうまい。親父役の東野栄次郎なんて、演技とは思えないほどのリアルさ。舌を巻く。ヒロインの吉永小百合もいいなあ。やはり華がある。彼女がいるだけでぱっと明るい。

 映画の最後の方で、工場で働きながら定時制高校に通う決意をする主人公に先輩がいう。「一人が10歩前進するよりも、みんなで一歩ずつ前進しよう」。そして屋外では労働歌が歌われる。「最後は、共産党のプロパガンダ映画みたいだな」と思ったのも当然で、原作者は、共産党員の女性作家らしい。このことを割り引いても、当時の貧困層の家族をいきいきと描いた秀逸の作品である。

 現代の薄ら寒い心象風景と比べると、当時の方が豊かな気がする。その理由は、貧乏人同士が助け合う互助精神が活きており、地域コミュニケーションが息づいていたからだ。当時と比べれば、いまは家族単位で皆が孤立している時代なんだと改めて思う。

キューポラのある街.jpg1962年4月/監督:脚本: 浦山桐郎/原作:早船ちよ/脚本:今村昌平/音楽:黛敏郎/出演:吉永小百合、浜田光夫、東野英治郎、浜村純、小沢昭一、吉行和子、加藤武、殿山泰司、北林谷栄、菅井きん

悪名

やくざも一目おく朝吉の活躍に気分爽快!

★★★★

 これまで何度観たか分からないが、久しぶり(たぶん15年以上たつと思う)に観ると、やはり面白い。そして、みんな若かった。勝新太郎、田宮次郎、水谷良重、中村玉緒。シルクハットの親分とも久しぶりに会った感じだし、中でも懐かしいのが、浪速千恵子だ。これほどの貫禄と味のあるおばちゃんは、ちょっと他にいないと勝手に断言しよう。

 大ヒットしてシリーズ化した映画だが、この第一作を観ないと、タイトルの意味がわからない。酒が飲めなくて、やくざが嫌いな朝吉だが、人一倍義侠心が強く、頼まれると断れない性格が災いし、否応なく、やくざとの喧嘩に明け暮れることになる。そんな朝吉に、浪速千恵子が言う。「たいした男や。きっと名前を上げるやろ」と。それに対して、朝吉は呟く。「そんな悪名、ほしくはないわい」と。やくざではないが、やくざも一目おく存在として名前をあげる朝吉の、ピカレスクロマンたっぷりの活躍が、スクリーンに大写しされ、観客は、日常の雑事や不安を見事に忘れ、爽快な気分で、映画館を出るのだった。

 この映画にはいまは消え去った松島遊郭の活気ある場面が描かれている。因島という瀬戸内海の小さな島の名前もこの映画で覚えたものだ。田宮次郎扮する「モートルの貞」も朝吉に劣らない魅力的なキャラだったが、それにしても「モートル」ってなんだ?という疑問は、いまだに消えていない。

悪名.jpg1961年/監督:田中徳三/原作:今東光 脚本/出演:勝新太郎、田宮二郎、中村玉緒、水谷良重、浪花千栄子、山茶花究

日本の夜と霧

政治的な、あまりに政治的な作品。
上映4日で打ち切れ、大島が松竹を去った因縁の作品。


★★★★

 60年安保のすぐ後に、当時の学生運動と既成政党への批判的精神をもとに制作された、極めて政治的メッセージ色の強い映画。
 京都大学の学生運動の闘士だった大島渚だからこそ作り得た作品ともいえる。脚本も石堂淑朗との共同執筆で、政治運動用語とでも呼ばれる言葉のディベートでほぼ埋め尽くされる。
 この映画をつくった大島の勇気にも恐れ入ったが、それを受け入れて上映した松竹も懐深いな〜と思って観ていたが、後で調べると、実は松竹の逆鱗に触れ、上映4日で打ち切られ、それに抗議して大島は松竹を去ったといういわくつきの作品だった。独立系ならともかく、メジャーではこうした作品は今後二度と作られることはないだろう。

 大島作品といえば、『日本春歌考』『新宿泥棒日記』などで強烈な衝撃を受けた記憶があるが、『日本の夜と霧』は今回が初めてだ。観ようと思ったきっかけは、このHPでとり上げた新書『創られた「日本の心」神話』で、日本のうたごえ運動について触れていて、『日本の夜と霧』で大島がうたごえ運動を痛烈に批判していた、といった文章を読んだからだ。
 確かに学生たちが歌い、フォークダンスを踊るシーンがふんだんに出てくる。武力闘争から平和共存へという既成政党による方針転換が背景にある。「いつから歌うようになったのか」と批判する学生に対して、党員の学生が答える。「一緒に歌っているとき、統一感と団結が生まれてくる。こういった大衆的な感覚を身につけないと、学生運動も革命も一歩も進まないんだ」。
 そういえば、私の学生時代にも、うたごえ喫茶があったし、足を運んだこともある。この「うたごえ運動」も調べると興味深い点があるが、それはまた、別の機会に。
 それにしても、学生を取り巻く空気は、戦後〜70年代前半までと、それ以降では見事に反転し、政治の季節から経済の季節へと変わったものだと、この映画を観て改めて思わざるを得ない。

日本の夜と霧.jpg1960年10月/監督:大島渚/脚本:大島渚、石堂淑朗/出演:桑野みゆき、津川雅彦、小山明子、渡辺文雄、芥川比呂志

赤い波止場

神戸ロケによる貴重な裕次郎映画
あるいは「望郷」との相似形

★★★★

 「『ペペ・ル・モコ』、観たことありますか。ジャン・ギャバンの『望郷』ですけど、あれを下敷きにして、神戸を舞台にした映画があるんですよ。タイトルは、『赤い波止場』です。石原裕次郎が出ていますが、なかなかいい映画ですよ」
 成田さんから貴重な情報をいただいた。3月第3週土曜日の夜のことだ。さっそく観なくては‥。DVDレンタルを申し込むが、我が家に到着するのは、4月に入ってからだ。
 2週間後、BAR HEAVEN で、マスターと『赤い波止場』の話をすると、「それならあるよ」と、テレビで画像を流してくれた。ブルドッグを味わいつつ、白い画面を眺めていた。メリケン波止場から、湾岸通りに並ぶ居留地地区のビルが遠景として映っている。真っ白な上下のスーツを着てメリケン波止場を歩く裕次郎の脚は確かに長く見える。みなと祭りの様子も映っている。
 「貸してあげるよ」とマスターから声をかけてもらったが、「2、3日後に届くはずだから」と丁寧に断って帰る。

 そして数日後じっくりと観た『赤い波止場』。あの『望郷』のストーリーと雰囲気を上手に利用しながらも、独自の話にまとめている点に感心した。

 神戸の桟橋で、杉田は落ちてくるクレーンの下敷きとなって死んだ。この麻薬売買のいざこざから過失と見せかけた殺人の現場に、偶然いあわせたのは通称左射ちの二郎こと富永二郎だった。彼は東京から神戸に流れつき、今は松山組にワラジを脱いでいる。キャバレーの用心棒をしているタア坊は、二郎を兄貴と呼んで慕っていた。死んだ杉田の妹・圭子は、東京の大学をやめて、神戸へ帰って来た。二郎は圭子にひと目惚れした。彼の動静に絶えず眼を向けているのは、野呂刑事である。

 といった感じで、ストーリーは展開していく。
 簡単に『望郷』と『赤い波止場』の類似点と相違点をまとめておこう。
<類似点>
・ともに舞台は、港町である。モロッコのカスバと神戸。
・ペペも二郎もやくざ者だが、地元の人々に愛されている。
・ペペはパリから逃れ、二郎は東京から逃れてきた。
・警察に追われているが、証拠がなく、なかなか掴まらない。
・親しい刑事が密着し、尻尾をつかもうとしている。
・地元の女の愛から、逃げようとしている。
・ペペはパリの女に惚れ、二郎は東京から帰ってきた女に惚れる。
・気分がよい日に、屋上で歌い出す。
・カスバの雑踏と、南京町の雑踏を巧みに使っている。

<相違点>
・ペペは、地元の大物だが、二郎は、地元のヤクザにかくまわれている。
・ペペが惚れた女は富豪の愛人で、ゴージャスであり、ペペに言わせると「パリの地下鉄のにおいがする」そうだが、二郎が惚れた女は、東京で女学生生活をおくった普通の女性であり、汚れなき無垢のイメージである。
 他にも相違点は、他もたくさんあるが、それは観てからのお楽しみに‥。

 この映画が何よりも貴重なのは、神戸でオールロケされている点だ。だから1958年当時の神戸の風景が随所に出てきて楽しませてくれる。メリケン波止場はもちろん、波止場から居留地あたりの風景が懐かしい。また、白いスポーツウェアを着た人々が龍を操っている、素朴しとかえないような南京町の龍の踊りもほほえましい。
 裕次郎ファンも、「望郷」のファンも、神戸の好きな人も楽しめる、よくできた娯楽作品である。

赤い波止場.jpg1958年/日活/監督:枡田利雄/出演:石原裕次郎、北原三枝、中原早苗、轟夕起高齢化、大坂志郎、岡田真澄、二谷英明、柳沢真一

駅前旅館

ペーソスが効いた上質な喜劇映画

★★★☆

 「夫婦善哉」を観た関係で、「喜劇 駅前旅館」を観ることにする。この映画がヒットして駅前シリーズとして26作も続く。その記念すべき第一作に当る。
 まずもって、とにかく懐かしい。森繁久彌、淡島千景の他に、森川信、草笛光子、伴淳三郎、フランキー堺、淡路恵子、浪花千恵子。市原悦子(女学生役ですよ)、山茶家究、左朴膳ぜん、藤木悠などなど、みな若いなあ。

 ストーリーは、駅前旅館の番頭を中心に、ドタバタ喜劇が展開するが、それだけに終わらない哀愁(ペーソス)を感じさるところが、この映画の質を高めている。それも単に人情話に終わらず、時代の流れも背景に描いている点に説得力もあり、共感力もますことになる。原作は井伏鱒二。納得です。

駅前旅館.jpg1958年/監督:豊田四郎/原作:井伏鱒二/音楽:團伊玖磨/出演:森繁久彌、出フランキー堺、伴淳三郎、淡島千景、草笛光子、淡路恵子、藤木悠

夫婦善哉

遊び人の若旦那と元芸者との妙な関係。森繁久彌の名演に感心!

★★★★

 森繁久彌の逝去によって、テレビ、新聞で名作として何度も紹介されていた「夫婦善哉」をさっそくDVD借りて観ることにする。小説では読んだが、10年以上も前のことなので、かなり忘れている。

いあや、確かに上手い、森繁久彌の演技。40歳過ぎの頃だが、この一作によって名声を博し、以後、どんどん映画の主役に抜擢される。
 主人公の柳吉は、船場の化粧品問屋の息子で、遊び人で、あげくに芸者と駆け落ちしてしまう。勘当されるのも当たり前だが、落語の世界でもよくある、道楽息子の系譜の話だ。店にとっては迷惑な存在だが、お人好しで憎めないタイプが多く、この映画の主人公、柳吉もそんな若旦那の一人なのである。
 自分ための勘当された駄目な道楽息子を、蝶子は何とか一人前にしようと悪戦苦闘する。芸者だったという負い目もあり、また自らの存在証明のためか、ヤトナ芸者、おでんや、カフェなどを開業して気丈に頑張る。こんなタイプの女性は、昔はよくいた気がする。いや、いまもいるに違いない。

 いざとなると意気地がなく、生来の遊び人の柳吉としっかり者の蝶子の2人を中心に話が進んでいくわけなのだが、この映画の魅力の一つが、舞台が戦前の大阪(といっても映画の上映は昭和33年なのだが)の風情が、描かれている点にある。法善寺界隈はもちろん、船場の問屋街や有馬温泉なども描かれている。
 ライスカレーで有名な自由軒は、3回ほど出てくる。柳吉に教えられて入った店であり、その後一人でも入り、先輩芸者も連れて入る。つまり柳吉との思い出の店につながる店ともなっている。僕も、大阪に出てきた頃、早速、ここに入った記憶がある。

 感心したのは、原作となった小田作之助の小説「夫婦善哉」の2人が、さまざまな失敗を重ねながらも逞しく生きる明るさであり、駄目な男としっかり者の女が惹かれあう2人の奇妙な関係が、人間くさくて魅力的だ。頭の中だけで創り上げると、もっと単純化された平板な人物像しか描けないことが多い。ネットで調べていたとき、やはりこの小説にはモデルがいた(私が知らなかっただかも知れないが)。それも小田作之助に最も近い存在である、次姉とその夫らしい。これで合点がいった気がする。

夫婦善哉.jpg1955(昭和30)年/東宝/監督:豊田四郎/原作:織田作之助/音楽:團伊く磨/出演:森繁久彌、淡島千景、司葉子、浪花千栄子

浮雲

浮き雲のように定まらない男女の愛を描く。
男の色気を感じさせる森雅之がいい!


★★★★

 名匠・成瀬巳喜男監督の代表作といわれている「浮雲」を観た。原作は林芙美子である。粗筋は、おおよそ以下のようなものだ。

 戦時中、赴任先のインドシナで、妻ある男・富岡(森雅之)と出会い、愛し合ったゆき子(高峯秀子)。終戦後、妻と別れて君を待っている、との言葉を信じ富岡のもとを訪れたゆき子だったが、富岡はいつまでたっても態度をはっきりさせようとしない。途方に暮れたゆき子は外国人の愛人となり、富岡のもとを去る。しかし、ある日、富岡が訪ねてくると、ゆき子の心は再び富岡へと戻って行く。ところが、二人で行った伊香保温泉で、富岡は今度は飲み屋の若妻おせい(岡田茉莉子)に手を出してしまう……。

 「女ってやつは」「男なんて」とお互いに毒づいたり、捨てぜりふを吐いたりしながらも関係が続く2人。とくに、ずるくて不実の男だと分かっていても、離れられない女の心情が痛いほどに伝わってくる。
 終戦後の闇市が建ち並ぶ風景をバックに描かれており、戦後風俗の一端を知るにも貴重な作品である。落ちぶれた富岡が住む安アパートの1階の土の通路で、近所の子どもたちが三輪車に乗っていたり、追っかけをしていたり、ママゴトをしているシーンが、2人のシーンの間に数回現れるが、こうしたさりげないシーンも、時代のリアリティを感じさせるのに効果的だ。

 それにしても富岡を演じた森雅之である。名前は知っているし、黒沢映画でも出ているはずなのだが、ほとんど記憶にない。この作品でじっくりと森雅之の魅力を堪能した。端正な顔立ちでありながら、インテリジェンスと屈折感がない交ぜになった独特の風貌が、男の色気を感じさせるのだ。現代にはいないタイプである。調べると、何と文学者・有島武郎の長男であり、京大を中退した本物の血統書付きのインテリゲンチャであった。

浮雲.jpg1955年公開/監督:成瀬巳喜男/出演:高峯秀子、森雅之、岡田茉莉子、加藤大介、山形勲

小原庄助さん

他人のために財産を使いはたす主人公。
覚悟の上の行動が美しい、寓話的作品

★★★

 清水宏が監督した1949年の作品。『山中貞雄や小津安二郎や溝口健二が「天才」と呼んだ監督で、ロケーションを好み、素人や新人を起用したことからも、人為的な作風を嫌った監督』だと、AMAZONの紹介文に書かれていたので、「これは、ホウ・シャオシェンや、ジャン・ジャクーの先駆者的な監督ではないか」と俄然興味がかき立てられて、見てしまった。
 ストーリーは、会津磐梯山の唄に登場する小原庄助さんのような人物を主人公にして、人の良い男が、他人のために財産を使い果たし、やがて家を明け渡して出てしまう。だが、彼の後を妻が追っていく。
 戦後の農地解放に伴って、地方の大地主や旧家が没落していく時代背景も感じられる。没落していく他ないなら、すべて与えてしまおうという主人公の考えと行動が美しい。そしてすべてを与えても、妻との愛が残り、そして村人の記憶に長く残るだろう。ある意味、寓話的作品だ。
 主役の大河内伝次郎を、ぼくは初めて見た。子どもの頃、寄席で物まね芸人が、口ごもるような大河内伝次郎の口真似をしていた。実際の大河内伝次郎は、それほどひどくないが、なるほど、彼を真似ていたのか、と妙に懐かしくなった。

小原庄助さん.jpg1949年/東宝/監督:清水宏/音楽:古関裕而/出演:大河内伝次郎、飯田蝶子

酔いどれ天使

見応え十分の力作。
表現主義映像に不意を打たれる。


★★★★

 眞田病院長(志村喬)はノンベエで口の悪い男である。眞田はヤミ市の顔役松永(三船敏郎)がピストルの創の手当をうけたことをきっかけに、肺病についての注意を与えた。血気にはやる松永は始めこそとり合わなかったが、酒と女の不規則な生活に次第に体力の衰えを感ずる。松永は無茶な面構えでそっくり返ってこそいるが、胸の中は風が吹きぬけるようなうつろなさびしさがあった。

 「酔いどれ天使」は、「野良犬」とともに黒沢明の初期から中期にかけての傑作の一つ。よく練られたシナリオ、魅力的な人物像、大胆な映像美などがいかんなく発揮されている。
 医者とヤクザ。この2人の主人公は、互いに反発しあいながらも惹かれ合う共通項がある。それは互いの内面に抱えた虚無感のようなものも知れない。病院の前にあるドブ池とそこで発生するメタンガスが、2人の心情を表す象徴として描かれている。そして単純に善人と悪人とに分けられない、矛盾を抱えた人間存在の有り様から発せられる台詞は面白い。
 モノクロの映像だからこそ生まれる画面のダイナミズを実感できる映画でもある。命を狙われる松永が、悪夢にうなされるシーンがあるが、表現主義を思わせる実験的映像に不意を打たれた。

酔いどれ天使.jpg1948年/監督:黒沢明/主演:志村喬、三船敏郎、木暮美千代、久我美子、笠置シヅ子