映画の海

アバンチュールはパリで

男の恋愛妄想映画であり、パリの魅力を感じない珍しい映画

★★★

 奇妙な映画である。監督のホン・サンスは、“韓国のゴダール”と言われているそうだ。そういえば、ストーリーと関係なく、ベートーベンの交響曲第7番第2楽章が繰り返し流れたり、カレンダーの日付が表示され、パリでの日常が淡々と綴られていったりする。_
主人公ソンナム(キム・ヨンホ)はいつもビニール袋を下げて歩く冴えない画家なのに、なぜか美しい韓国女性にもてる設定になっている。彼は、嘘つきだが溌剌とした美しい若い画学生イ・ユジョン(パク・ウネ)に惹かれ、駄目もとで、「抱きたい」を連発し、結局、ものにしてしまう。
観ていて感じたのは、不自然さが伴うこと。これは単に女性にもてたい監督の妄想映画ではないかと思ったりしたものだ。また、パリを舞台にしていて、これほどパリの魅力を感じさせない映画は珍しい。やはり奇妙な映画である。

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クロッシング

肺腑を衝き、慟哭せざる得ない衝撃の映像

★★★★★

 上映されたときから評判は聞いていたから、内容はおおよそ想像はついていた。そして実際に観たときも、ほぼ想像通りだった。だが、それでも何度も泣いた。それは、映画といえども、餓死と隣り合わせて生きている北朝鮮の人々の現在進行形の姿がリアルに描かれていたからであり、彼らの絶望、悲嘆、怒り、無力感などが、ひしひしと画面を通じて伝わってきたからだ。

 炭坑で働く男達が、井戸水を飲みながら叫ぶ。「魚じゃあるまいし、腹を膨らませるのに、水ばかり飲むのは限界だ」。つねに飢えとの戦いだ。
 夫婦と息子(小学生)、犬が生活する部屋が映し出される。必要最低限のもの以外、何もない部屋。壁もボロボロだ。むき出しの貧困。
 母親が栄養失調から肺結核を起こし、寝込む。ある日、衰弱する妻に栄養をつけるため、肉料理を出す。息子が気付く。「これは可愛いがっている犬ではないか」と。息子は泣く。父親はいう。「犬よりも、母親の命の方が大事ではないか」と苦渋に満ちた表情で。

 妻の病気を治す薬を得るために、夫は脱北の決意をする。「すぐに帰ってくる。それまで、母の力になるんだぞ」と息子に託す。
 脱北には成功するが、なかなか薬が手に入らない。そのうち、母は病死する。一人残された息子は、父に会うために脱北するが、途中で捕まり、収容所に入れられ、強制労働と思想教育を受ける。ここは、さらに厳しい地獄だった。
 韓国まで渡った父のお金で、収容所から出た息子は、電話で父に泣きながら話す。「約束を守れなくて、ごめんさない」と。父も、薬をすぐに持って帰れなくて妻を死なせたこと、そして息子を辛い状況下に置いたことで、胸がかきむしられるほど辛い。二人は電話口でお互いに泣き続けるのだった。

 その後の展開はさらに過酷な運命が待っている。これ以上は具体的な紹介はしないが、これだけでも、おおよその内容は分かるだろう。
 一部の権力者の権力保持のために、大多数の国民が筆舌に尽くしがたい塗炭の苦しみを味わっている国が、日本のすぐ隣に存在しているという事実。苛政は虎よりも恐ろしい。

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息もできない

粗暴な男と女子高生の心の絆。
暴力の背後にある悲しみと怒りと孤独を描く


★★★★

 友人が経営する取り立て屋で働いているサンフン。その容赦ない取り立てと暴力は時には仲間にも向けられ、怖れられていた。ある日、サンフンの父が刑務所から出所。幼いころ、家庭内暴力が元で母と妹を死なせた父親。その父をサンフンはただ殴りつける。そんなサンフンが出会った女子高生のヨニは、サンフンの暴力的な態度にも怖がらない。そんな彼女に、サンフンはどこか惹かれるものを感じる。
 そんな彼女の家庭も暴力を抱えていた。精神を病み、働けない父の代わりに働いていた母は、屋台の強制撤去に遭い、その最中に死亡。弟のヨンジェ(イ・ファン)は高校にも行かず、荒れた生活を送っていた。
 複雑な家庭環境を背負った粗暴な男と一人の女子高生が出会い、心を通わせていく姿を鮮烈なタッチで描かれる。

 私は、基本的に暴力映画は嫌いである。ところが韓国映画は、この映画も含めて暴力をテーマにしている作品が多くて、今回も暴力シーンは多い。だが、なぜか拒否反応は起きない。そして観ているこちらまで「息もできない」状態のまま最後まで一気に観てしまった。
 それは、主人公のサンフンの暴力の背後に、深い悲しみと怒りと孤独があること、また、甥っ子をかわいがるように、根はいい奴なんだと知っているからだ。だから主人公への共感性をもちながら観ることができるのだろう。ここが他の暴力を扱っている映画とは一線を画しており、数々の賞に輝いた理由である。
 取り立て屋の社長もまた、サンフンの理解者であり、年上の自分に対して、悪態をついても、本音でないことを知っている。この2人のやりとりも、いい味を醸し出していて、観いいて楽しかった。

 韓国で俳優として活躍してきたヤン・イクチュンが製作、脚本、主演など五役を兼任した監督デビュー作らしい。東京フィルメックスやロッテルダム国際映画祭を始め、世界中で25以上もの映画賞を受賞するなど、高い評価を得た。
 ヤン・イクチュンが言う。「自分の心の中にたまったもやもやしたものを、この映画で吐きだしたかった。この映画は自分のために作った」と。この言葉から、この映画に近い家庭状況があったと推測できる。
 また、「韓国では、ほとんどの家庭が問題を抱えている。幸せなまま育っている人間は少ないだろう」とも述べている。
 韓国の父親の世代は、第2次世界大戦、そして朝鮮戦争、ベトナム戦争(韓国は参戦している)などで戦場に赴いた父親が多い。この映画でも、ヨニの父親はベトナム戦争帰りであり、それが原因で精神に異常をきたしていると思われる。
 心に傷を持つ父は家族に暴力を振い、それが今度は子どもの心に深い傷を負わせ、暴力の連鎖が生まれる。韓国映画に暴力シーンが多いのは、こうした背景もあるように思う。

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うつせみ

一言もしゃべらない主人公と人妻が繰り広げる不思議な世界


★★★★

 それにしても不思議な主人公を作り上げたものだ。他人の留守家に鍵を外して入り込み、食事、風呂、宿泊、洗濯をする。そのかわりに、その家の洗濯、掃除、壊れ物の修理をして、家を出ることと日常としている青年テソク。そんな主人公と、夫の抑圧に我慢している人妻ソナが運命的に出会う。ソナを連れ出したテソクは、今度は2人で留守宅に侵入する生活をする。これが前半。

 後半は、ある家で肺がんで死んでいた老人を葬ったことで殺人容疑で警察に捕まり、ソナは夫に連れ戻される。刑務所に入ったソテクは気配を消す訓練を続ける。そして釈放後、人妻の家に行き、夫にきづかれないように気配を消したまま生活を始める。

 ここから何らかの教訓を出すべきなのだろうか。主人公は一言もしゃべらない。人妻は一度叫び、「愛している」と一言しゃべっただけ。つまり、2人ともほとんどしゃべらない。
 現代社会から疎外された2人だけの秘密の関係に、純粋な愛を感じとればいいのだろうか。

うつせみ.jpg2006年3月公開/韓国/監督:キム・ギドク/出演:イ・スンヨン、ジェヒ

オールド・ボーイ

15年も監禁された男が叫ぶ、「なぜだ?」
過剰なエネルギーに満ちた復讐劇

★★★★

 よくこんな映画を撮ったものだと妙に感心した。しかしこの映画は劇薬で、副作用に気を付ける必要あり。見終わった後も映像がフラッシュバックで現れるかも知れない。それほど強烈なインパクトを持つ映画だ。

 15年も監禁されるという設定が見る者の興味をひきつける。主人公と同じように叫ぶだろう「なぜだ?」と。それと「監禁屋」という商売にも興味をそそられる。残酷なシーンでは何度か顔を背けた。

 次第に明かされる主人公の過去と犯人の素顔。最初から最後まで、太くてでかい鉈(なた)を振り回すような過剰なエネルギーに満ち溢れている。見る側の精神的なタフさも要求されそうだ。

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親切なクムジャさん

刑務所での親切ぶりが見事!

★★★★

 「オールド・ボーイ」の爆発力に感心したパク・チャヌク監督の作品。復讐3部作の最後の作品。
 TVドラマ「チャングムの誓い」で有名なイ・ヨンエが主人公。20年近くも服役していた刑務所で親切さを装って刑期を軽くするとともに、親切にされた囚人を釈放後に味方につけて、復讐を成功させるための道具とするあたりは、実に見事。イ・ヨンエのクールな美しさが画面に輝く。
 復讐相手をつかまえた後は、殺された子どもの親たちを集めてリンチで殺してしまう。日本の映画では考えられない展開だ。

 復讐というテーマは、ストーリーが作りやすく、観客を引きつけやすい方法だと思うが、復讐の方法がいかにも感情の激しい韓国人的というべきか(「オールド・ボーイ」は日本人の原作なので、本当は何とも言えないが、映画だけ観ると、韓国的だと思ってしまう)。
 2作ともに、用意周到さの徹底ぶりに驚かされるが、この粘着的な部分も、韓国的なような気がする。一般的に、日本人は忘れやすく、もっと淡泊だと思うがどうだろうか。

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チェイサー

久しぶりに観た後味の悪い作品

★★

 ある程度、評判のいい作品の中から、好みのものを選んで観たつもりだったが、久々に後味の悪い作品だった。
 韓国映画はパワーがあって凄い!と思っていたが(それにくらべて日本映画は、家族間の微妙な人間関係を描く繊細な箱庭的作品が多いと感じている)、そのパワーも、発散する方向を誤ると、グロテスクなだけになってしまう。

 韓国で実際にあった事件(韓国史上、最悪の猟奇殺人事件。31人のも女性を殺害)を素材に作られてものだが、ドキュメントじゃないんだから、もっとうまくフィクション化しろといいたい。
 女性をノミで殺す場面や、バラバラにされた死体をこれでもかと見せたうえに、必死に逃れた女性も結局、殺されるシーンで、不快感が頂点に達した。恐怖を植え付けるだけの作品なのか。

 さらに不快感を増したのは、殺しを自白している犯人を、検事が「証拠がないんだから、すぐに釈放しろ」と命じて、何度も釈放させているシーン。これが事実なら、これまたお粗末といえよう。犯人しか知り得ない情報を告白しているのにみすみす釈放する、韓国の制度にも腹が立ってきた。
 手錠をしているものの、犯人は歩くことができる警察所内での取扱も、ちょっと信じられない感じだ。

 それにしても韓国映画には、残虐な暴力シーンが多すぎる。かつての日本の東映・任侠映画以上だと思う。復讐話が多く、執拗に暴力シーンを描くことが多い。国民性の違いなのだろうか。

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母なる証明

殺人事件のサスペンスだが、ユーモア感覚横溢!

★★★★

 韓国映画に特徴的な点として、パワー全開のバイオレンスがあげられるが、暴力一辺倒ではなくて、同時にユーモア感覚が混在している点こそ、韓国映画の優れた点だと思っている。
 このユーモア感覚をなくすと、『チェイサー』のように陰惨なだけの映画になってしまう。その点、『母なる証明』は、知的障害をかかえる息子の殺人容疑を晴らすための母親の行動を中心に描いているが、ユーモアの分量が多い点、ゆとりをもって映画を楽しむことができる。
 「うちの息子は絶対に無実だ」と信じる母親の行動力には、ただただ感嘆するばかりであり、息子を思う母親の強さを存分に知ることができるが、時には、判断を誤ることもある。
 火事の現場の中で母親が持っていた鍼灸の針をいれた箱を見つけた息子が、そっと母親に渡すシーン。息子は、どこまで正常なのか、その見極めが、観客にも分からない。
 バスの中で韓国のおばちゃん達が踊りつづけるシーンで、この映画は終わるが、韓国人の人は、日常的によく踊る。沖縄の人たちと同じ系譜ではなかろううか。司馬遼太郎が指摘していた古代の「歌垣」の伝統が、いまも脈々と生き続けていることを感じさせるのだった。

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