キャピタリズム 〜マネーは踊る〜
ウォール街が支配するアメリカの正体を痛烈に暴く
★★★★★
最初に見たのは、2年ほど前だが、最後に出てくるフランクリン・ルーズベルトの「第2の権利章典」を書き留めてからと思っていたら、感想を書くのがずいぶん遅れてしまった。
その間、何とマイケル・ムーア監督が恐れていた事態がどんどん進行するではないか。1%の富裕層が3割以上の所得を独占し、中間層が没落。格差が広がるばかりばかりである。若者の失業率の高さも問題だ。この映画では、ムーア監督がウォール街に乗り込んで、お金を返せと、ビルを囲むようにテープを貼る。2008年9月15日、リーマン・ブラザーズが破綻して株価の大暴落が起きたが、アメリカ議会は金融業界を救済するための法案を可決し、何と税金7000億ドル(1ドル80円と計算して56兆円)を投入した。その後の金融界は、相変わらず高収入の暮らし。恥を知らない連中に対して、「金を返せ!」と抗議の声をあげたのである。
でも、この映画が上映された2009年当時は、まだムーア監督の声は、アメリカ社会で多くの賛同を得られていなかった。それが不思議でならないのだが、アラブの春の動きに触発されたこともあり、ようやくアメリカの中間層が動きだし、「ウォール街を占拠せよ」のスローガンを掲げてデモを起こした。遅すぎるくらいだが、起こさないより、起こした方がいい。
さてこの作品「キャピタリズム」では、アメリカがいまのような強欲金融資本主義に変貌したのは、1980年代、レーガンが大統領になってからだという。財務長官には、メルリ・リンチの会長、ドナルド・リーガンが就任した。以後、政策は、金持ち優遇策、組合つぶし、金融の規制緩和などなど、経済界とウォール街に都合のいいものばかり。国を動かしているのは、政治家ではなく、ウォール街なのだと指摘する。
リーマン・ブラザーズ社が破綻する元になったサブライム・ローンに関しては、マフィアのやり方と同じだという。少ない頭金と金利を強調して住宅ローンを組ませるが、書類には読みにくいほど小さな数字が書かれている。それは年々上がる金利の数字であり、それを説明せずに組ませていたのだがから、たちが悪い。
さてフランクリン・ルーズベルトが亡くなる前に、ラジオで構想を発表した「権利章典」であるが、彼が実現しようと考えていていた政策は、「雇用の権利」「最低の賃金」「国民皆保険」「十分な教育」「手頃な値段の住宅」「有給休暇」「妥当な年金」といった福祉政策に重点をおいたもので、生活の安定と福祉の向上を図ろうというものだ。だが、ルーズベルトの死亡によって、これらの目標は今もって実現していない。
そして2008年11月、バラク・オバマが初の黒人大統領となり、アメリカは変わるかもしれない、と大きな期待を寄せたところで、映画は終わっている。
その後の状況は、冒頭で紹介したウォール街へのデモに象徴されるように、何も変わっていない。ムーア監督もこのデモを支援していることはいうまでもない。アメリカ人は、いまやっとムーア監督に追いついたのだ。
2009年/米国/監督:マイケル・ムーア
ジャック・メスリーヌ フランスで社会の敵No.1と呼ばれた男
Part1 ノワール編&Part2 ルージュ編
実在の犯罪者を多角的に描く。ノンストップで観せる力あり!
★★★★
フランスに実在した伝説のギャングスター、ジャック・メスリーヌをあつかったクライム・ムービー。犯罪者といえば、アメリカのアル・カポネやデリンジャーなどが有名だが、ジャック・メスリーヌの名は初めてだ。でも、フランスでは有名らしい。
1959年。アルジェリア戦争の兵役を終え、パリに戻ってきたジャック・メスリーヌ。幼なじみのポールと行動を共にする中で、次第に闇の世界に足を踏み入れていく。やがてポールからギャングのボス、ギドを紹介され、いよいよ犯罪に深く手を染めていく。
ジャック・メスリーヌの犯罪は、銀行強盗(1959年から1979年までの間に32回)と誘拐だ。「薄汚い手で奴らが稼いだ金をオレが頂くだけだ。何が悪いのかね」とうそぶく。何て、調子のいい奴なんだ。
脱獄も4回行っている。一度は、裁判の途中で裁判長を人質にとって逃亡している。虐待がひどい刑務所では、脱獄後、手伝ってくれた仲間を脱獄させるために車で突入。見事に成功させている。何て、大胆な奴なんだ。
また、彼は変装の名人だ。本物のメスリーヌが変装した何枚もの顔写真がネットでも紹介されていた。瀕死の父親を見舞うため、医者の変装をして病院に入り込み、父親との対面を果たす。何て、器用な奴なんだ。
それに女によくもてる。そして女に優しい。メスリーヌ役のヴァンサン・カッセルが何とも魅力的である。何て、羨ましい奴なんだ。
これらの出来事があり、フランスでは英雄視されるようになり、マスコミの取材を受けたりしている。金持ちからしか金銀財宝を盗まず、決して人を殺さない怪盗ルパンみたいなものか。だが、実際のメスリーヌは、ギャング仲間や、自分に悪評を書いた右翼ジャーナリスト、そして逃亡中に出会った森林警備員などを殺している。決して英雄なんかではない。こうした事実も含めて、ジャック・メスリーヌという犯罪者を多角的に、スピーディに力強く描いている。飽きることなく、Part1、Part2の2作品を一気に観る。
若い頃はスマートだったメスリーヌの体型だが、殺される前の中年のメスリーヌは腹も出て太っている。ヴァンサン・カッセルは、この役のために20kg以上は太ったのではないだろうか。素晴らしい役者根性ぶりだ。ちなみに彼の奥さんは、あのイタリア女優モニカ・ルビッチである。何と、羨ましい奴なんだ。もういいか。
2009年11月/フランス、カナダ、イタリア合作/監督:ジャン=フランソワ・リシェ/出演:ヴァンサン・カッセル、セシル・ドゥ・フランス、ジェラール・ドパルデュー
チェンジリング
警察による子供の取り違え事件を映画化。
心憎い演出で観客の心を引きずり込む。
★★★★
1928年のロサンゼルス。シングルマザーで、電話会社に勤務するクリスティンの息子、ウォルターが姿を消す。クリスティンは警察に捜査を依頼し、その5ヵ月後、警察からウォルターを保護したと朗報が入った。喜ぶクリスティンだったが、再会した息子は全くの別人だった。警察にそのことを主張すると、彼女は「精神異常者」として精神病院に収容されてしまう。この事件の背後には当時のロサンゼルス市警察の恐るべき体質が隠されていた。
こうしたクリスティンと警察との戦いが始まる。これは1920年代にアメリカで起きた、警察による子供の取り違え事件(ゴードン・のスコット事件)を映画化したものだ。
この映画で私は思わず唸った。『グラン・トリノ』でも唸ったが、今回も唸った。上映の順番は、『チェンジリング』の方が早いのだが、私はこちらが後になってしまった。いずれにしても観客の心をわし掴みにして、映画に没頭させる技を、クリント・イーストウッドは完全に心得ている。派手はアクションシーンもなければ、興ざめをさせるような大げさな効果音も音楽もほとんどない。それでいて、ストーリーと役者たちの演技で、ぐいぐいと観客の心を映画に引きずり込む。憎いばかりの演出だ。もうお手上げの降参状態だ。それも幸せな降参だ。ただ映画に酔いしれるだけである。
2009年2月公開/アメリカ/監督:クリント・イーストウッド/出演:アンジェリーナ・ジョリー、ジョン・マルコビィッチ
イン・トゥ・ザ・ワイルド
荒野を自らの力で生き抜こうとする主人公の姿に魅了
★★★★
主人公のクリストファーは、大学を優秀な成績で卒業した。父親はNASAの技術者として働いていていた天才科学者で、いまはコンサルティング会社を経営している。両親の息子にかける期待も大きい。卒業記念に、「新車を買ってやろう」と言われるが、クリトファーは、「なんでそんな必要があるのか。今の中古車で満足だ」という。さらに彼は、預金をすべて恵まれない人に寄付をし、残りの金も燃やしてしまった。そして両親には黙って荒野をめざして失踪してしまったのだ。
一見、平和で裕福な家庭に見えるが、実際は大きな家庭問題を抱えていた。主人公は、権威主義的な父親への反抗、さらにはアメリカの物質文明への失望から、荒野へと旅立った。「人間より自然を愛す」というバイロンの詩を引用し、トルストイ、ジャック・ロンドン、ソローの本をこよなく愛していていることが紹介される。旅に出るにあたり、「食べられる野生動物」といった本も用意している。
ここからずっと旅のシーンが映し出される。主人公が旅の中で、大自然の中で開放されていく様子や、他の放浪者、ヒッピー、農園で働く男たち、嫁と息子に死なれた孤独な年配の男性との温かい人間的な交流などが描かれる。カヌーでの激流くだりのシーンも美しい。そして最後に、目標のアラスカへと足を踏み入れる。
この映画は、大自然と一体となり、さらに荒野を自らの力で生き抜こうとするアメリカ人の美質を感じさせる意味でとても貴重だ。そして最後は意外な結末を迎える。が、ここには書かない。ぜひあなたにも見てほしいからだ。
これは実話で、最後に主人公の本物の写真まで出てきた。「みんな本当の話だったんだ」。胸が締め付けられた。主人公を演じたエミール・ハーシュは、素晴らしい魅力を画面に発散させていた。こんな役者は日本にはいない。
2008年9月公開/アメリカ/ショーン・ペン監督/出演:エミール・ハーシュ、ウイリアム・ハート、ほか
カポーティ
ホフマンの演技と田舎の寂しい風景が心に染みる
★★★★
「ティファニーで朝食を」で一躍人気作家となったトルーマン・カポーティが、傑作ノンフィクション「冷血」を執筆する過程を描いた作品。
カポーティが新聞に載っていた事件に興味をもつ。カンザス州の田舎町で、農家の一家四人が惨殺された事件だ。さっそく彼は、幼なじみの女性作家と事件の現場に足を運び、関係者に取材をして回る。さらに担当する警部夫妻と仲良くなり、犯人の2人にも面会し、取材することになる。2人の中でもとくに自分と境遇の似たペリー・スミスに興味をいだく。
カポーティはペリーに言う。「君と僕は同じような境遇に育った。ただ、家から出て行く扉が違っただけなんだ」と。ペリーのように罪を犯していたのは、自分だったのかも知れないとい深い共感性の現れでもある。
結局、カポーティは、ペリーが絞首刑になる最後の瞬間まで見届け、ノンフィクション小説「冷血」は大絶賛され、大作家の仲間入りをする。だが、彼はそれ以降、一作も小説を書けなくなるほど、心に傷を負ったのである。ちょっと信じがたい話だが、事実である。
カポーティを演じた、フィリップ・シーモア・ホフマンが、とにかく上手い。実際のカポーティがどんな声で、どんなふうに喋ったのか知らないが、きっとこんなだったんだろうなと自然に思わせるほどだ。そして事件のあったカンザス州の田舎の寒々とした灰色の風景が心に染みてくる。
ちなみに、この映画でホフマンは、第78回アカデミー賞主演男優賞を受賞している。
2006年9月公開/米国・カナダ/ベネット・ミラー監督/キャスト:フィリップ・シーモア
・ホフマン他
アメリカン・ギャングスター
警察社会の腐敗を摘発する刑事と
警察嫌いの麻薬王の想いが交差するとき
★★★★
実話を元にした2時間半以上の映画。1970年代の麻薬の社会浸透ぶりと、それを取り締まる警察社会の腐敗ぶり。その背後には、ベトナム戦争がある。麻薬取締り警察官の約4分の3が逮捕されたというから、すさまじい。しかし、さすがにリドリー・スコットである。簡単に善と悪に分ける単細胞な2分法とは無縁の、人間存在の複雑さや矛盾も同時に描きだしている。
麻薬のボスにのしあがるデンゼル・ワシントンはいう。「小さい頃から、ひどい環境で、家に押しかけた警察官が、俺のいとこの口に拳銃を入れてからぶっ放して殺したよ」。一方の正直刑事のラッセル・クロウは、押収した大量の現ナマを警察署に持ち帰る。周囲から「まるでボーイ・スカウトだね」と揶揄される。警察組織の腐敗ぶりが描かれる。そして対象的なのが、2人の家族だ。ワシントンは、家族愛にあふれ、麻薬で儲けたお金で家を建て、親族一同を集めて幸せそうに暮らしている。一方、クロウは、妻との離婚、そして息子の親権を裁判で争っており家庭は崩壊している。難しいものだ。
この2人の共通点は、目的実現のための自己抑制が効いている点で、まったくぶれない。麻薬王は、摘発されないように徹底的に目立たないことを心がける。そしてブランド品を開発し、ブランド品維持を心がける。刑事は、腐敗にはけっして手に染めず、正義を貫き通す気骨を示す。
この2人はやがてクロスし、麻薬王は逮捕される。刑事の狙いは、逮捕だけではない。腐敗した警察社会も摘発しようというものだ。警察嫌いの麻薬王は刑事の期待に応え、腐敗刑事が一斉に逮捕される。警察に協力した麻薬法は刑を15年に短縮されて、保釈されたところで映画は終わる。
社会の実情とは、こうしたものだ。やくざの社会は、非合法組織なので、つねに公権力から目を付けられている。ところが行政権のみならず、実質的に立法する立場にもある官僚組織は、自分たちの都合のいいように、社会のルールを作り、合法的に利益をむさぼろうとする。一方は、暴力によって裏社会を、他方は、悪知恵によって、表社会を支配しようとしている。
両者とも悪いが、よりたちの悪いのは、官僚の方である。なぜなら、彼は合法的に悪いことをしているという自覚症状がないからだ。「自分たちは、日本社会のために優秀な頭脳をつかい、懸命にがんばっているのだ。少しくらいおこぼれがあってもいいだろう」と考えている節がある。誰かが早くガツンと官僚組織と社会構造を変えないと日本の未来はない、と思う。
8 mile
エミネムの半自叙伝。ラッパーにとって歌は“戦いの道具”だった
★★★★★
デトロイトを舞台にした、エミネムの半自伝的な作品だ。エミネムは、白人で初めて大成功を収めたラッパーとして、アメリカでは知らぬ者はいない(そうだが、私は知らなかった)。
かつて隆盛を極めたアメリカの自動車産業は、もはや没落した1995年。ミシガン州デトロイトには都市と郊外を隔てる境界線がある。「8マイル・ロード」。この道は富裕層と貧困層、そして白人と黒人とを分けるラインになっている。
母と妹とトレーラーで暮らす白人青年B・ラビットこと、ジミー・スミスJr.(エミネム)。ガールフレンドと別れ、アパートを追い出された彼は母親宅に転がり込むが、トレイラー・パークに住む母親は呑んだくれで、ジミーの高校時代の上級生に骨抜きにされ、仕事も行かない。通勤中もリリックを綴るジミーの夢は得意のラップで成功し、いつかこの貧困や犯罪とは縁のない、8マイルの向こう側に行くこと。しかし「ラップは黒人のもの」という世間の先入観やプレッシャーから、友人達の猛烈な後押しもむなしく、シェルターで行われるMCに勝ち残ることができない。
そんなある日、バイト先のプレス工場でモデルを夢見るアレックスに出会う。彼女もまた8マイルを越えたいと願う人間で、二人は恋に落ちる。だが、成り上がりたい一心のアレックスは別の男と関係を持ち、ジミーは絶望を味わう。それぞれの思いが交錯する中、暴力、裏切り、貧困を乗り越えるため、ジミーはマイクをつかむ。
こんな感じで話が進む訳だが、実に興味深い映画だった。
一つは、ヒップホップのラッパーたちにとって、歌が“戦いの道具”だったことが、この映画を見て分かった。マイノリティーのギャングスターたちが、暴力で血を流すかわりに、ブレイクダンスで相手と競ったように、歌でも競っていたことがよくわかる。判定は、大勢の観衆の拍手で決まる。
ラップのリズムは、ほとんど同じようなものだ。だからラップを理解しようと思えば、歌詞が分からなければ、まったく意味がない。かつてボブ・ディランが、歌詞を理解できない英語圏以外では歌いたくないといったことを思い出した。
歌詞の内容は、下品極まりない。ファック、ディック、マスターべーション、アス‥etc。さらに、相手を打ち負かすためには、これらの単語を並べるだけでなく、相手の弱点を見抜くこと、また、聴衆をエキサイトさせるような言葉の巧みさが求められる。
もう一つ、興味深い点があった。この映画は、若くして最大のラップスターとなったエミネムの自伝的映画なのだが、それを他の役者ではなくて、本人が出演している。自分の役をやっている。
自伝映画といえば、普通は、描かれるスターは、すでに亡くなっているか、老人であることはほとんだ。ところが、エミネムはまだ若い。だからこの映画は、半自叙伝みたいなもので、無名時代のエミネムの姿が描かれる。
しかし、自分が自分の映画に出るというのは、ヘンな気がしないのだろうか。本人に聞いてみるしかない。
フロスト×ニクソン
命を賭けたインタビューの迫力
★★★★★
アメリカ進出と金銭リスクを負っているフロストと、政界復帰を狙っているニクソンによるインタビューが、それぞれの命を賭けた格闘技であることを実感させられる映画だ。
ニクソンは、ケネディとのテレビ討論で負けた苦い過去を持っている。でも負けたのはテレビ映りであり、討論の内容そのものではなかった。ニクソンは、討論にかけては、実にタフで巧妙。すごいハードパンチャーであり、またクリンチも巧妙なテクニシャンでもある。そのことを、今回の映画で納得できた。
このインタビューで面白いのは、単に情報戦での勝負だけでなく、複雑なニクソンの心理状態をとらえ、大統領は法を犯しても良い、というニクソンの考え方を暴きだした点にある。
フロスト役のマイケル・シーン、ニクソン役のフランク・ランジェラともに、最高の演技であり、2時間以上の上映時間だが、まったく長さを感じさせない素晴らしい映画だった。
マイ・ライフ、マイ・ファミリー
暴力的な父親の晩年とどう向き合うか
★★★★
アカデミー賞にノミネートされたのに、認知症になった父の介護を扱うシリアスな話なので、日本未公開になってしまった作品。50歳代以上の人には、自分のケースを考えながら観てしまうに違いない。
父親が子どもに暴力を振るい、母親は育児放棄でいない状況で育った兄と妹。よくここまで育ったと思うが、2人とも家族愛へ飢えを抱いていることをじわりと感じ取ることができる。
この映画で特長的だったのは、普通なら子ども時代の回想シーンが入るはずだが、それを一切拒否して、妹のシナリオのタイトルや兄が吐き捨てる言葉だけで語っている点だ。
暴力的で、嫌な思い出しかない父親の晩年とどう向き合うか。同じようなテーマを抱えた人はたくさんあると思う。これに対する正解はなく、この兄妹のように、そのときの父親の状況と自分の気持ちに正直に向き合って対処するより仕方ないような気がする。
ところで冒頭のシーンに出てきたのが、老人たちの天国、フェニックスのサンシティだ。70歳代のチアリーダーは、マスコミにも採り上げられたほど有名らしい。これがアメリカ人の考える理想的な老人天国なのだが、どうしても違和感を覚えざるを得ない。死ぬ間際まで、スポーツや趣味を楽しみながら人生を謳歌しようというわけだが、これも「つねに若く元気に」というアメリカ人の筋肉質的な頭脳から生まれた強迫観念のようなものだ。
自分の家の前においた椅子に座って、ぼ〜と道行く人を眺めたり、近所の人や孫と喋ったりするアジアの老人の人たちの方が、自然で幸せに思うのだが、どうだろうか。
マルコヴィッチの穴
奇抜な発想とアイデアに脱帽。とにかく楽しめる。
★★★★
奇才脚本家のチャーリー・カウフマンの出世作品。
自信がなく、他人になりたいと思っている冴えない人形師が、主人公。その人形師が、新しい職場で穴を見つけた。その穴は、俳優ジョン・マルコヴィッチの脳の中に通じているのだ。その中に入れば(ただし15分間だけ)、マルコヴィッチとして生きることができる。15分を過ぎれば、幹線道路沿いのくさむらに落ちてくる。もうこれだけでも、十分ナンセンスであり、奇抜な発想とイメージが観る者を魅了する。
もう一つ感心したのが、ビルの中にある職場が、そのフロアだけが2分の1しか高さがなく、みんな腰をかがめて歩くシーンだ。日常とは切り離された別の世界に彷徨い込んでいることが象徴的に現されているように思う。
ちなみに原題は「Being John Malkovich」だが、邦題の「マルコヴィッチの穴」の方が、内容を端的に伝え、シュールでいい。
バーン・アフター・リーディング
勘違いから起こるドタバタ劇。けっこう楽しめる
★★★★
コーエン兄弟の最新作。ブラッド・ピット、ジョージ・クルーニー、ジョン・マルコビッチなど、そうそうたる顔ぶれだ。CIAから首を切られた男が、自叙伝を書きかけたCD-ROMをスポーツジムに落とし、それを拾った男がCIAの極秘情報だと勘違いして、お金を引き出そうとしたところから起こる喜劇を、コーエンタッチで、ユーモラスに描く。
多くの喜劇は、勘違いから起こる。それは吉本新喜劇でもよくある手だ。それをどこまで面白く仕上げていくか。ここが腕に見せ所といっていい。感動的な作品ではないが、十分楽しめる。そんな感じかな。
チェ、28歳の革命
キューバ革命の進行をドキュメンタリータッチで描く
★★★
映画は、国連で演説するためにニューヨークについた場面と、革命のための戦闘シーンが、入れ替わり現れる。ドキュメントタッチの映画になっている。伝記を扱っているから当然とも言えるが、説明はほとんどない。たんたんと進んでいく。キューバ革命とはなにか。なぜ、チェは革命運動をはじめたのか。カストロはどうして知り合ったのか。いっさい説明はない。
だから、この映画は、キューバ革命のこと、チェ・ゲバラの予備知識がある程度ないと、わからないだろう。
逆にいえば、彼ほどの有名人だから、知っていることを前提としてつくられていると思う。今回の映画では、具体的に戦いの様子が、そして革命軍の規律のことが、そして革命軍に参加するものが増えてきたこと、市民が熱狂的に迎えてくれた様子などが描かれている。
非常に抑制の効いた映画であり、チェのこと、キューバ革命を知るためには見るべき価値はある映画である。
ゲバラが国連で演説した内容が、後半の行動を解く鍵だと思う。彼は、中南米には、人民を苦しめている独裁国家があることを、具体的な名前をだして、非難していた。そして、2部において、ボリビアへと革命のために、再び動くのだった。
チェ、39歳別れの手紙
ボリビアでは、なぜ革命に失敗したのか?
★★★★
大学生の頃、「ゲバラ日記」の文庫本を買ったものの、途中でやめてしまったために、よくわからなかったゲバラのボリビアでの活動。わかっているのは、最後は、ボリビア政府軍に捕まって銃殺されたことぐらいだった。
それが今回の映画で、キューバで成功した革命が、ボリビアではなぜ失敗したのかあたりまでわかった気がする。
ボリビアでは、共産主義革命に賛同する者が圧倒的に少なかったこと。それは政府による、共産ゲリラへの恐怖心の植え付けに成功した点もあるかもしれない。また、ボリビア共産党は、ゼネスト主義で、暴力反対主義であったこと。さらにアメリカ軍部が、ボリビア政府に力を貸したこと。
こうしたさまざまな理由から、ボリビアでの革命は失敗し、ゲバラは殺された。
「アメリカが最も恐れた男、そして世界から最も愛された男」。これが映画のキャッチフレーズであったが、いいコピーだと思う。
もう一つ、ゲバラは、生涯、喘息とも戦い続けた男であった。同じ喘息持ちとして同情する。喘息にあえぎながら、ジャングルを歩き回るのはさぞ辛かったことだろう。
リトル・ミス・サンシャイン
駄目ファミリーが演じるロード・ムービー。けっこう笑える!
★★★★
ニューメキシコのアルバカーキに住むシェリル・フーヴァー。彼女には、勝ち組でなければ意味がないと説教する夫、口汚くて、ヘロイン中毒で老人ホームを追い出された父、願いがかなうまで口を聞かないと決めた息子、プルースト研究家でゲイの兄は、恋人の教え子に振られて自殺未遂を起こす。そんな駄目な家族が、娘のオリーブが、リトル・ミス・サンシャインコンテストに出場することが決まり、ボロボロの黄色いマイクロバスにのって旅に出る。
その旅の途中でさまざまな事件に巻き込まれながら家族の絆を深めていく話。アメリカらしい、ロードムービーの一つ。
粗雑で暴力的で欲ぼけ気味の爺さんがいい味をしている。旅の途中で、死んでしまうが、爺さんから振り付けを習った娘の踊りが、この映画のオチでもある。
実は、この爺さんが、「暗くなるまで待って」の殺し役を好演していたアラン・アーキンだと後で知ってびっくりした。彼は、この映画で第79回アカデミー助演男優賞を受賞している。またこの映画は、同じく第79回アカデミー脚本賞も受賞している。最初、限定7館で上映されたが、評判をよび、一気に全米で上映されたそうだ。
しかし、娘の体型がどうも気になる。少女なのに、お腹が不自然なくらい出ているように見えるのだ。もともとこの体型なのだろうか。これでミスコン出場はあり得ないと思うのだが、コメディだから許すとしよう。
リトル・ダンサー
バレエに打ち込む少年が、階級と偏見の壁を打ち破る!
★★★★
バレエに魅せられた、母親をなくした少年と、炭坑労働者の家族を中心に、少年にバレエを教える女性、その娘、そして同性愛の少年の親友といった人たちを中心に話が展開する。
父親から男らしいスポーツとしてボクシングをやらされるが、バレエの方に興味をいだく少年。冒頭のシーンが象徴的だ。ベッドのスプリングを利用して、嬉しそうに跳躍している少年の姿。そして、劇中では、家族の無理解によって、イライラが募った少年が、ステップを踏み始め、体全体で踊り始めるシーン。自分は、踊っているときが、一番充実していることを実感したシーンかもしれない。
バレエ学校の試験のとき、踊り終わった後に審査員から尋ねられる。「どういう気持ちで踊っているの?」「わららない。ただ、踊っていると、何もかも忘れて、空を飛んでいるような気分になるんだ」。
ドラマとしてみたとき、最初は、頑固で無知で暴力的な父と兄が、自分たちの知らないうちに上達している少年のバレエにかける真剣さに打たれた後は、一転して、少年の夢をかなえるために、必死になる姿が劇的変化があり、見るものに痛快感を与える。
ブラス!
とても後味のいい人生への応援歌!
★★★★
「リトル・ダンサー」と同じく、「ブラス!」の舞台も、イギリスの炭坑の町だ。炭坑で働く労働者たちの質素な家の様子や、単調で陰鬱な町の様子がよくわかる。炭坑閉鎖へと追い込まれる中で、前者はブラスバンドという音楽が、そして後者はバレエが救いと希望へと繋がるという設定も、両者はよく似ている。
さて、この「ブラス!」という映画、日本で1997年に上映されると、クチコミで広がり、大勢の観客が詰めかけたらしい。中でも中年男性が多かったとか。さもありなん。日本だって1990年半ばから景気後退。1997年は、あの山一証券が破綻した年でもあった。リストラされた人、されかかっている人など、身につまされている人が詰めかけたに違いない。
そういう意味では、主人公は、借金をかかえ、妻と会社とブラスと父親との板挟みに苦しみながら自殺未遂まで起こすフィルではなかろうか。ブラスへの信念が揺るがない父親のダニーや、ユアン・マクレガーが演じるアンディよりも、フィルへの共感は高いと思う。
アルバートホールでの決勝大会で優勝したダニーが優勝カップを返上して、合理化を進めるサッチャーを名指しで非難し、叫んだ言葉こそ、この映画で伝えたいメッセージだったのだろう。
暗い題材を扱いながらも、ブラスバンドの活動を通じてタフな人間像を描くことで、後味のいい人生への応援歌となったように思う。