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島を守るキリンたち

 私の住んでいる島には、巨大な赤いキリンがいる。島の岸壁にそって、西側と、東側にそれぞれ6頭のキリンが遠くの風景を見つめながら立ち続けている。抜けるような青空をバックに約60メートルの高さを誇る勇姿を遠くから見ることができ、夜は対岸から漏れる極彩色の光をバックに黒いシルエットがくっきりと浮かび上がる様は、実に頼もしい。

 キリンにとって快適な日々ばかりではない。湿った空気がねっとりと肌にからみつき、サハラ砂漠にでも逃走したくなるような梅雨の季節も、看板をなぎ倒し、ビルを倒しかねないほど風の強い日も、暑さには慣れっこのインド人もうんざり顔で木陰に避難するほどの暑熱地獄の日も、キリンたちは文句ひとつ言わず、4つの足をしっかりと広げ、首筋を伸ばして健気に立ち続けている。

 その彼らも、時々首を傾げることがある。それは、岸壁に船が到着した時だ。長い首を折り曲げ、船から餌を持ち上げている姿が、住人たちから目撃されている。
 赤いキリンたちは、島の守護神であった。太平洋に浮かぶイースター島で海を見つめているモアイ像さながらに。

 1995年1月17日、午前5時46分。島はもちろん、周辺エリアを含めて、未曾有の大地震に見舞われた。住居はシェイカーの中のカクテルのように激しく揺れ、バリバリという轟音とともに、箪笥が倒れ、食器棚が倒れ、300キロ以上もある電気温水器が、壁をぶち破って倒れてきた。「あかん。地球最後の日や」。とっさに死を覚悟する。島の住民たちの多くがケガをし、病院に続々と押しかけたのは言うまでもない。島での死者は2人という話が伝わってきた。正確な数字は分からないが、極めて少なかったことだけは確かだった。わが家では、倒れた2つのタンスが偶然「人の字」型になったため、その下で寝ていた家族も奇跡的に肩を打った程度で済む。犠牲が少なかったのは、キリンたちのおかげに違いないと信仰心をさらに募らせた住人もいるそうな。

 最近の心配事は、震災後、キリンが餌を食べる回数がめっきり少なくなっている点だ。それに伴って、島のあちこちに空き倉庫や空き店舗が増えて、墨が水中で拡散するように、じんわりと寂寥感が漂ってきた。どうか、キリンたちの食欲が回復しますように。そして島に活気が戻りますように。そう願う日々である。

「赤いキリン」こと、ガントリークレーンは、コンテナを運ぶクレーンのこと。かつてはコンテナ取り扱い高ナンバーワンだった神戸港だが、震災後、急激に減り、トップの座を他の港に譲っている。